仙台からの手紙

【大紀元日本4月2日】戦後最大といわれる被害を出した東北関東大震災の発生から3週間が経過した。度重なる余震や原発への不安が続く中、雑誌Ode電子版に寄せられたブログを読み、励まされた。発信者は長年仙台に居住する米国人女性で、震災後の町の様子を温かなまなざしで見守る。先月14日に投稿された彼女のブログを紹介する。

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A Letter from Sendai
文・Anne Thomas

仙台で経験したことはとても現実とは思えない災害だった。しかし、私には私を助けてくれる素晴らしい友人がいるから、とても恵まれている。私の本来の住処は掘立小屋とも言えないような有様なので、友人のところにいる。水、食べ物、石油ヒーターなどを分かち合っている。一部屋に雑魚寝し、ろうそくの下で食事をとり、体験したことを語り合っている。暖かく、友情にあふれ、美しい。

昼間は助け合って住処のガラクタをかたづけている。車の中でニュースをカーナビの画面で見ている人、飲み水の配布が始まると順番を待って並ぶ人。もし誰かの家で水道が使えれば、必要な人がバケツやポットに入れられるように、家の前にそれを伝える看板を出す人。

略奪などが全く見られず、順番待ちの列が乱れることもないことは、まさに驚異的だ。地震が襲った時は安全だからという理由で、みんな家の入口を開けっ放しにしている。みんなが口をそろえて言うのは、「昔は、こういう風にお互い助け合っていたんだね」

余震は絶え間なく続いている。昨夜は15分おきだった。サイレンは鳴り続け、ヘリコプターは絶え間なく飛んでいる。

昨夜は水道が数時間だけ、今日は半日。電気は今日の午後から。ガスはまだ駄目。これも地域ごとに状況が違う。供給されているところもあるが、全くないところもある。みんな、何日もお風呂に入っていない。とても不潔に感じるけれど、今はそんなことよりもっと大切なことがある。私は、必要不可欠でないものがはぎ取られていくのが楽しいのだ。本能だけを頼りに、かばい合い、生存を支える最低のものだけで、己を捨て、みんなで生きる。

不思議な並列宇宙空間がある。めちゃくちゃになった家もあれば、布団や洗濯物を日に干している家。水や食べ物の為に並んでいる人や、その横を犬を連れて散歩している人。これらが同時に起きているのだ。

他にも美しいと感じさせられたもの、それは夜の静けさ。車はいない。通りは誰も歩いていない。満天の星、いつもは2つか3つの星しか見えないのに。仙台郊外の山々はピリッとした空気の中で、しっかりと夜空にシルエットを作っている。

日本の人たちは素晴らしい。今は電気が復旧したのでメールを打つために毎日自分の住処へ戻って来るが、入口には誰かが置いてくれた水と食べ物がある。誰からなのかは分からない、でも確かにある。緑の帽子をかぶった年配の人が家家を巡回し、みんな大丈夫かどうかチェックしている。人々は見ず知らずの人に声をかけ、何か助けが必要ですかと尋ねる。誰も恐れていない。あきらめは見える、しかし恐怖やパニックは無い。

人々は余震が来る、もっと大きなものも含めて一カ月以上続くと話している。確かに絶えず揺れるし、振動がある。私は他の場所より少し高くて地盤の固い仙台にいるから、恵まれている。他の地域よりずっといい方だ。昨夜は友人の夫が国から食べ物と水を持ってやってきた。恵みをまた感じた。

この時にあたって、私は全世界で巨大な宇宙の変化の過程が起こっているということを、自らの体験で悟った。今、日本で起こっていることを通して私の心は大きく開かれたと感じている。私の兄弟は、今起こっていることの中に身を置いていると自分がものすごく小さく感じられるのではないかと尋ねてきた。決してそんなことはない。むしろ、私は今起きている、何かとても大きなことの一部に身を置いていると感じるのだ。この産みの苦しみは大きい、でも素晴らしい。

貴方からの心遣いと愛に感謝します。

アン

(翻訳編集・郭丹丹)