天安門武力弾圧22周年 15万人追悼式典=香港

【大紀元日本6月7日】22年前の 1989年6月4日、中国当局が大規模な学生民主運動を武力弾圧し、大勢の学生を殺害した。これがすなわち「六・四天安門事件」である。今年6月4日、死者を追悼する式典は例年通り香港のビクトリア・パークで開かれた。キャンドルを手に15万人が参加し、中国国内や若者の参加も多いという。サッカーコート6面がすべて参加者で埋め尽くされた。

主催者の香港市民民主支援聯合会(以下・支聨会)によると、参加者の人数が大幅に予想を超えたのだという。警察当局が使用許可を申請していないとの理由で、隣接する運動場への入場を阻止するため、現場の秩序は一時混乱となっていた。

追悼大会では、今年の年初めにガンで亡くなった支聯会の会長、香港民主運動のリーダーの司徒華氏が生前に収録した追悼メッセージを放送した。「香港および中国の民主の道のりはまだまだ長く、近いうちに実現される可能性が低いです。それは中国共産党政権は全世界のもっとも強大な独裁政権であるからです。我々は必ず強靭な精神と戦う決心を持ち続けなければなりません」と氏が呼びかけた。

天安門事件でわが子を殺され、22年間同事件への正しい評価を求め続けている遺族の団体「天安門の母」、そのリーダーの丁子霖さん(74歳)は6月3日から公安当局に自宅軟禁された。自宅の電話が切断されて、外部との連絡が完全に断ち切られ、追悼式典が終わった翌日5日の午前に軟禁が解除された。

丁子霖さんは香港の追悼式典にビデオメッセージを寄せ、「我々はすでに立ち上がったので、もう伏せることはない」などと呼びかけた。

香港紙アップル・デイリーの6日の報道は丁子霖さんの証言として、当局が挙げた軟禁の理由は、彼女の言論が国外での影響が強いため、「中国社会の安定に不利である」と報じ、亡くなった息子の墓参りも禁止したという。

同追悼式典に参加した、香港の大学に在学している20代の中国人男性(仮名「九虎」)はラジオ・フランス・インターナショナル(RFI)の取材に応じて、次のように心情を語った。中国国内にいたときは「六・四天安門事件」のことをまったく知らなかった自分が、香港に移住してからはじめて真相を知った。十数年来中国当局の詐欺宣伝に騙されたことに強い怒りを覚え、今回の追悼式典に参加したという。

同追悼式典が終了した後、香港人権団体「社民連」のメンバーとその支持者200人以上が中国当局駐香港の政府機関「中聨弁」前に集結、「六・四天安門事件」の正しい評価と政治犯全員の釈放を求めた。また、100人以上の若者は「48時間座り込み抗議活動」に参加し、警察と一時衝突した。双方が翌5日の午前1時までに対峙し、周辺地区の交通が一時麻痺した。その後、200人以上の警察が出動、参加者を退散させ、53人を一時身柄拘束した。

また、事件現場となった天安門広場は22周年に当たるこの日は土曜日であるため、観光客で溢れかえっていた。RFIの報道は「明らかに大勢の警察が警備にあたっている。多くの人は関連の質問について「まったく知らない」と答える。AFP通信の記者は「イヤホンとトランシーバーを装着した大勢の私服警官がいる」と報じた。

一方、米国政府は中国当局に対して、22年前の同武力弾圧の真相解明を求めた。それについて、国営新華社は外交部の洪畧zhan_報道官の発言として、「1980年代末に発生した政治的動乱について、すでに明確な結論を出している」と報じた。

(翻訳編集・叶子)
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