英国バイリンガル子育て奮闘記(91)日本の高校(上)(2005年)

【大紀元日本6月13日】5年制の中学の卒業の前に受ける国家試験GCSE試験が終了した後は、秋に2年制の高校が始まるまで、宿題もない2ヶ月半の休暇となる。この期間を利用して日本を訪れることは前々から計画していた。

偶然にも、高校時代の同級生の娘さんと、学生時代の知り合いの娘さんが、実家の近くの私立高校の同級生になった。お互いに全く知らない二人だったが、娘のアンという共通項から、友人同士になったようだ。二人とも幼い頃にコーンウォールの娘を訪れたことがあるという、極めて稀な体験を分かち合っていた。

学生時代の友人のアドバイスに従い、この私立高校の校長先生に手紙を書き、5日間の体験入学を許可してもらった。高校時代の私の同級生の家で、娘は十年ぶりに幼なじみと出会ったが、日本人にとってのコーンウォール訪問、娘にとっての日本人との触れ合いは、人生体験の中でもかなりの比重を占めていたらしく、皆、幼い頃の記憶は鮮明で、三人とも和気あいあいの雰囲気だった。

というわけで、二人の幼なじみが、手分けをして、娘の出席する授業を決めてくれた。英作文、英語、オーラルコミニュケーション、古典、世界史、国語、生物などバラエティーに富んだテイラーメードのカリキュラムが、娘の意向を組み入れながら設定された。どれも、二人のうちのどちらかが履修している授業で、休み時間に落ち合って、各授業の教室に娘を誘導してくれた。

初日は、かなり緊張したらしく、家に戻ってから「自己紹介させられて、何て言っていいのか分からなかったの…」とシクシク… 。思春期のデリケートな時期の反応だ。実家の母にも英国に残してきた夫にも、「何でわざわざこんな辛い体験をさせる必要があるのか」と進言されてしまった。

しかし、英国とは全く違った学校制度でのお客様生活(制服のサイズがないので、私服で通わせてもらった)にもすぐ慣れ、小学校の時の体験入学同様、帰りに新しく出会った同級生を家に連れてくるなど、残りの数日を活発に過ごしてくれた。

古典の授業では、李白の漢文のプリントをもらってきていた。生物は、細胞分裂の図をノートに書いていた。高校生の普通の授業が次々と展開され、実に貴重な体験をさせてもらった。一番難しかった授業は、英語だったようだ。英語の先生に、読みの手本をするように言われたり、意味を尋ねられたりしても、娘が生まれ育った英語とは毛色が違ったようで、うまくこなせなかったようだ。また、英作文も、皆と一緒に試験を受けていたが、もとの日本語の意味がよく分からず、回答が空白の箇所もあった。

(続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。