英国バイリンガル子育て奮闘記(93)日本の高校(下)(2005年)

【大紀元日本6月27日】5年制中学の資格試験GCSEの後での16歳の娘との訪日は、私にとって[癒し」のひとときでもあった。

娘がアイディンティティー・クライシス(自己認識の危機)に陥らないよう、日本人の部分を否定して、外人のお客様というスタンスで訪れた旅だった。しかし、私の方で「娘は英国人。私は何人?」とアイデンティティー・クライシスに陥ってしまった。

娘に性格の似ている私のいとこと、久しぶりに会ってもらい、話を聞き、娘を一人の人間として客観的に理解するよう努力した。

地元の高校の体験入学を通して痛感したことは、英国は枠組みをとるのが2年早いという事実。日本だったら18歳まで制服を着用して、一応、学校に通っている。それが、英国では、16歳で制服を脱ぎ捨ててしまう。

この後の2年制の高校はカレッジと呼ばれる。娘によると最初のオリエンテーションでは、「学校外では何しても構わないけれど、校内にだけは麻薬を持ち込まないでね」という話があったそうだ。とにかく自分次第。規則がらみではない。

思春期の多感な時期に、枠組みをとられてしまって、娘だけでなく、皆、本当に危なっかしかった。親の世代は、1960年代に道徳基盤が崩された後に育った人々。子供の成長にとって一番大切な時期に、親はぼろぼろと離婚して行く。思春期の娘をお父さんが守ることもなく、野放しにしているのを見て、「父親が娘を守らなかったら、いったい誰が守るんだろう?」と現代の英国社会で育つ子供たちを不憫に思った。

日本滞在中は、会う人、会う人に、「聞いてくれる?ひどいのよ。英国の子育ては」とひとしきり愚痴をこぼさせてもらった。皆、「へーそうなんだ」という顔をして、親切に耳を傾けてくれた。住み慣れた祖国に戻って、自分の価値観と異国の価値観の物差しの違いを確認し、心理療法を受けたような貴重な訪日となった。

(続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。