50年代中国の結婚 東トルキスタン人口支配にも利用

【大紀元日本10月14日】1949年に中国共産党が政権を握ってから、中国では国民の生活環境に至るさまざまな面にまで濃い政治色に染められていった。それは、庶民の結婚も例外ではない。庶民の結婚は、中共が自称する党そのもの、ひとくくりに「組織」と呼ばれるものに主導され、軍内では、その「組織」主導の結婚の手配が50年代の末まで続いた。当然、このような婚姻のほとんどが悲劇に終わっている。中国網が伝えた。

中国は伝統的に、系統的で繁雑な婚姻習俗を有する国だ。例えばその結婚観として、父母の命令、仲人の助言、門当戸対(両家の経済環境)に合わせることなどが上げられる。

しかし中国共産党が1950年5月1日に婚姻に関する初めての法律「中華人民共和国婚姻法」を定めて以降、この伝統的価値観は失われていった。結婚を決めた男女が登記所で婚姻手続きをする場合には、共産党への報告、会社証明と役員の承認、市区町村それぞれ自治区を管轄する共産党幹部の署名が必要とされた。

このように、結婚にまで介入する共産党は、法の改変という表面的なものから、伝統的価値観の破壊という精神面まで、国民を思うがままに支配しようとした。

湖北省出身の張さんは大紀元の取材に対して以下のように述べた。「父は農民で、結婚して3つの子供を儲けた後、人民軍に入隊した。1950年に北京で仕事を初め、実家に戻らなかった。母は何回も北京に行って父を訪ねたが、『組織』への影響が悪いとして離婚を迫られ、後に、父は若い女子と結婚した。母は子供ために一生結婚しなかった」

また50年代、「組織」は人口支配のために、多くの若い中国人女性を東トルキスタン、つまり現在の新彊ウイグル自治区に出向かせたという。彼女たちは「組織」に従い、自分より10歳から20歳以上も年上の官兵と結婚させられ、時代の犠牲者となっていった。

(翻訳編集・王知理)
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