330歳の修道者が語る生命の謎

最近、中国のネットサイトに自称330歳の修道者が語った自分の修煉過程が掲載された。

 この修道者は、清朝の雍正年間に四川省成都で生まれ、戦乱を逃れて、四川省北部の大巴山に逃げ込んだ。その時、700年以上修煉を積んでいた師に出会い、道家の三清法門に入って修煉を始めたという。

 彼は300年の修煉を経て、すでに生死の輪廻を超えた次元、つまり不老不死の境地に達した。今回、常人社会に来て行脚するついでに、「人々を救い済度する」という願望を果たすために、生命の現象に対する認識を書き出して発表したという。

 世界には本当に神佛、妖怪、悪魔が存在するのだろうか。これについて、彼は以下のように述べている。
 

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これは疑う余地もありません。生命が存在する形式は計り知れないほど多く、人間のような色心を持っている生命は、宇宙の中でほんのわずかです。私が街頭を歩いていても、一般人は私の真実の身分を知ることができますか? 同じ道理で、多くの神佛や妖怪、悪魔が普通の人の姿で世間を往来していても、あなたには識別できません。多くの人は乞食を見くびり、甚だしきに至っては故意に乞食をいじめたりします。教えますが、多くの乞食は深い背景があり、世間で行脚する修道者でなければ、使命を持って世間に来ている神佛かもしれません。頭上3尺に神ありと言われていますが、これは間違いのない事実です。神は至るところにいます。ただ一般人は天目が開いていないので、見えないだけです。

 人の運命、人類社会の発展、そのすべては神佛によって制御されているのです。1人の人間が生まれてから死ぬまで、その一生の運命はすべて定められており、例え髪1本が抜け落ちることも、すべて按排されたことです。人間が社会で何をするのか、何を所有するのかはすべて定められたことであり、如何に努力しても、基本的に予定された道を歩むだけです。あなたはきっと信じないでしょう。自分が得た多くのものは、すべて自分が努力し奮闘することによって得られたと思うかもしれませんが、実は、修煉から得た功能で見れば、人間の奮闘する過程は、すべて凡人の運命を掌握する神によって制御されています。人はまるで操り人形のようで、神は各種の観念、情緒、欲求および人々のいわゆる偶発事件を利用して人の行為を制御しています。動物も人間と同じで、すべてこのように神により制御されているのです。

 

 佛家の言う六道輪廻は、間違いない事実です。私が天目という功能で見れば、人の幾度の前世の生命形式が見えます。私が言いたいのは、輪廻転生の中で一つの生命が人間として生まれるのは、容易なことではありません。故に、人間として生きていることを大切にすべきです。なぜなら、人間以外の他の形式の生命は、正道を修煉することを許されないからです。この一世の機縁を逃したら、再びこのような機会が得られるとは限りません。

 人間にとって、自分の運命を掌握する唯一の方法は修煉しかありません。これ以外に自分の運命を変える方法はありません。しかし、修煉する方法はたくさんあり、必ず慎重に選ばなければなりません。さもなければ邪道に入ってしまい、将来の結末は非常に惨めになります。それは地獄よりも更に悲惨な状況になります。社会で伝えられている法門や宗教はたくさんあります。その正と邪を判断する基本的な基準は、三つあると思います。つまり、絶えず金銭を要求されるもの、強制的にさせるもの、功能や法術を披露して見せるものは、間違いなく邪法であり、くれぐれも近づかないでください。

 正法門の修煉法は、無条件かつ無償で伝わるものであり、強制的な要素はまったくありません。正法門は人の理性、善念を啓発し、自分の意志で修行に励みます。邪法は官職や金銭を餌にして、物質に対する人の欲望を満足させ、人の貪欲を煽り立て、これらの手段で人を入信させます。もちろん、邪法も人にいくつか功能を得させることができますが、しかし最終結果はきっととても惨めなのです。

 現在、世間の各種の宗教、道教、佛教、キリスト教などを含めて、私から言えば、金をかき集めて私腹を肥やす商売の道具になりました。その正邪に関してはもう言う必要はありません。私は釈迦牟尼佛やイエス、老子などが不正であるとは言っていません。私は今の宗教が不正であると言っています。今の宗教はすでに神佛が宗教を創立した初期の原始教義を離れ、変質してしまったのです。

(翻訳編集・東山)