【伝統を受け継ぐ】草木染

【大紀元日本2月29日】草木染と聞いて、どんなイメージを持つだろうか。心安らぐ中間色、落ち着いた色調、紬の着物、桜の色、藍の色……など、いずれにしても、渋い色や自然で柔らかな色彩をイメージする向きが多いようだ。現代の生活にあふれる合成染料の華やかな色彩とは違った特別な存在感を持つものと、捉えてのことだろう。

ところが、この化学合成染料が発明されたのはせいぜい150年程前のことで、それ以前はすべての色は植物を中心とする天然染料で染められていたのだ。天平美人が身につけていた華やかな衣装も、聖徳太子が制定した冠位十二階を区別する絹製の冠の色「紫・青・赤・黄・白・黒」も、平安貴族女性の十二単に重ねたたおやかな袿(うちき)のグラデーションも、戦国武将の派手な陣羽織や緋縅(ひおどし)も、元禄の粋な小袖も、すべてが主に植物から、一部は貝や介殻虫から採った天然染料で染められていたという。

明治時代になりヨーロッパから量産ができ安価な合成染料がもたらされ、天然染料は急速に衰退し伝統の染色技術も失われていくことになる。その後、合成繊維が開発され、絹糸産業も不況に陥った。昭和の初め、そんな状況を憂い、天然染料で染めた絹糸を手機で織る紬を復活する運動を起こした男がいた。信州出身の山崎斌(あきら)という文学を志していた青年だ。染色家となり、伝統染色の研究を続け、古代の染色技術なども多く復活させて発表し、一般の使用に供した。合成染料に対して、天然染料による染色に「草木染」という名を与えたのも山崎であったという。(「草木染ひとすじ・山崎家三代の軌跡」 山崎 和樹)

今も日本各地に草木染の伝統は受け継がれている。奈良の東方、春日山の東に広がる森に点在する集落、生琉里(ふるさと)町にも草木染に魅せられた

竹井さん宅兼工房(大紀元)

アーティストがいる。竹井みさこさん(62)だ。森の木々に埋もれるように建つ白壁の家、入り口には「墾(は)る窯」と看板が上がっている。陶芸家の夫、竹井耀齋さんの窯だ。薪ストーブの燃える部屋で、自然と暮らす人たちが持つ暖かさを感じさせるお二人に会った。

竹井みさこさんの草木染との出会いは異色である。草木染の糸で手織りをするみさこさんであるが、作品は着物でもなければ、紬でもない。北欧の香りのするタぺストリーであり、配色の美しい手提げかばんや生活小物であったりする。

みさこさんは30数年前、小さな織機を手に入れた。それはフレミッシュ織の手機だった。もともと画家志望であったみさこさんは合成染料で染めた毛糸を使って、絵の具で絵を描くようにタぺストリーを織った。ところが、その毛糸の色が自分の求める色ではなかったという。 その時から、みさこさんの色探しが始まった。本や資料を参考に草木の葉っぱ、根っこ、果実、樹皮、枝を煮出して染液をつくり、木を燃やした灰に含まれるミネラル分を触媒として染着させる草木染に出会い、その染め色の美しさに魅了されたとみさこさんは語る。

草木染を始めて30年近くなりますが、未だに染め上る度に、きれいだなあと思うのですよ」とみさこさん。「草木染の面白さは常に驚きがあることです。同じ植物でも季節によって、環境によって、染め上りが違います。

草木染の麻糸(大紀元)

含む色素の割合が違ってくるためです。もちろん、繊維が異なれば、染め上りも全く違ってきます」。みさこさんの絵の具の色は無尽蔵にあるようだ。「夫が剪定した庭木、栗のいが、玉ねぎの皮などからも良い色がとれます」。植物の生命力の強い春、夏はもちろん、秋、冬にも染める色はあり、一年中草木染に休みはないと話す。

夫婦そろって植物や土など自然からの恵みをもらって創作生活をする。現代人にとっては憧れですねというと、「他の人が見るほどラクでもありません。生活しなくてはいけませんからね。奈良のお店に卸す商品を作るのに追われることもあります。それはそれで楽しいのですが……」と二人は笑った。2、3年に1回、二人の作品展を開くという。

竹井みさこさん(右)と夫で陶芸家の竹井耀齋さん(大紀元)

みさこさんの作品(大紀元)

竹井耀齋さんの作品(大紀元)

(温)