【伝統を受け継ぐ】奈良筆「田川筆工房」

【大紀元日本3月25日】「弘法筆を選ばず」という言葉がある。実際は、弘法つまり空海は「良い工作者は先ずその刃物を見極め、能筆家は必ず好筆を用いる」というような言葉を残しているとか。彫師にとって彫刻刀が命であるように、書家にとって筆は決して疎かにできるものではないだろう。

3月20日、日本三筆の一人と言われた菅原道真生誕の地とされる奈良市菅原町の菅原天満宮で「筆まつり」が催された。折から満開を迎えた梅が香る境内では、筆づくりと墨づくりの実演、自分の筆を作ることができる体験コーナー、書道家・鳥居そうさんによる

大書のデモンストレーションをする鳥居そうさん(撮影・Klaus Rinke)

大書のデモンストレーションなどのイベントに大勢の人が集まった。使い古した筆を持参した人は新しい筆と交換してもらい、集まった筆は大篝火で燃やし筆供養が行われた。

筆が日本に伝来したのは6世紀頃で、飛鳥、奈良時代には竹簡や木簡に使用する筆あるいは写経に用いる、いずれも穂先の短い短鋒の筆を作っていた。9世紀になり、空海が中国で長鋒の筆の製法を習得して帰国し、大和の今井(現・橿原市今井町)に住む筆匠に技術を伝えたという。

奈良筆づくりの第一人者、伝統工芸士、田川欽三さん(76)に筆づくりと奈良筆の今昔について話を聞いた。伝統産業の生き残りの

田川欽三さん、口にくわえているのは糸(田川さん提供、撮影・野口文雄、印画紙から転写)

難しさが言われる現在であるが、日本の筆づくりの中心であった奈良筆も例外ではないという。「戦前には大勢いた筆職人も今では10人ぐらい、原毛から製品まで全工程をやれる職人はその半分にも及びません」と田川さん。

筆を作って何年になるかという問いに「物心が付いたときには、おやじの前に座って筆を作っていました」と田川さんは笑った。正式には国の認定を受けた伝統工芸士であるが、むしろ筆匠、あるいは筆職人と呼ぶにふさわしい雰囲気と心意気を感じさせる田川さんである。

筆の原料は、鹿、馬、イタチ、ムササビ、テン、羊、タヌキ、猫などの毛をその特徴と性質を生かして長短4、5種類交ぜ会わせて穂先にする。穂先の先端になる長い毛は馬、タヌキ、イタチなどの剛毛で、それより少し短い毛は羊、猫、リスなど墨含みの良いもの、さらに短く切った硬い毛で筆の腰がしっかりと作られる。

数種類の長さの異なる獣毛を交ぜ合わせる作業を練り混ぜといい、水にぬらした獣毛を横並びに平らに広げた後、端からくるくると巻

練り混ぜ(大紀元)

く、広げては巻く、この作業を繰り返すうちにそれぞれの毛が均等に交ざり合い円錐形の穂先の形になる。原料となる毛の選択とその配合が筆の書き味を決める。職人の腕の見せどころだ。

原毛から一本の筆が出来上がるまでには、ざっと数えて12の作業工程がある。どれをとっても手間と時間のかかる作業である。「食べていくためには夜なべを覚えないかん。若いうちは手を早く動かすように。年を取ったらいやでも遅くなる、とおやじから言われたものです」と田川さんは若いころを振り返る。どうして、76歳の田川さんの手の動きは早くて写真が撮れないほどだ。

後継者不在が言われる伝統産業であるが、田川筆工房はその心配はない。娘さんの田川知世さんがしっかりと技術を受け継いでいる。「やり方は同じでも最終的には自分の感覚です。父と同じものにはなりません」。自分の筆はできても、田川の筆ができているかは確信が持てないと筆づくり28年のベテラン、知世さんがいう。おやじの背中は大きいということだろう。「書きやすいと言ってくださるお客さんの声が励ましになります」とも。

奈良筆の特徴は分業をしないことと書家や水墨画家などからのオーダーメードが多いことだという。「いろいろな注文があります。長もちするもの、墨含みが良いもの、硬いもの、柔らかいもの…どんな要望にも応えます」「一味違う線が描ける筆、なんていう注文もありましたよ。これは難しい。どう一味違うのか・・・」「注文の筆は考える時間が長くて商売にはなりません。これは勉強やと思ってやっています」と田川さんは語る。田川さんの語彙に「できない」という言葉はないようだ。

筆まつりで子供たちに筆づくりを指導する田川欽三さん(撮影・Klaus Rinke)

筆の材料となる原毛(撮影・Klaus Rinke)

筆づくりの実演、筆まつりで(撮影・Klaus Rinke)

境内に飾られた大筆、筆まつりで(撮影・Klaus Rinke)

(温)