中国の民主活動家が不審死 天安門事件の再評価を求めてか

【大紀元日本6月7日】1989年の天安門事件の発端となった一連の民主化運動の時期、湖南省で労働者による自主労働組合「工自連」を組織し、国家転覆罪で21年間投獄された民主活動家・李旺陽氏(62歳)が6日、入院先の病院で死亡した。当局は自殺と断定しているが、現場に不審点が多いことから、家族および民主団体は真相の究明を求めている。

入院していた李氏は当時、24時間の厳しい監視下に置かれていた。同日朝6時ごろ、窓に包帯を結び、首吊りのような状態で発見されたという。しかし、包帯は首にゆるく巻かれており、スリッパは履いたままで、両足も地面についていた。そして、首吊り自殺に見られる苦しそうな表情が見られなかったことや、厳しい監視下にあったにもかかわらず、目も耳も不自由な彼の自殺に監視者が気づかなかったことなどから、親族・友人の間から「自殺」を疑う声が上がっている。

遺体はすでに当局に運び出された後で、親族による遺体写真撮影も許可されなかった。

親族・友人らによると、常に前向きだった彼の自殺は考えられないという。長年の牢獄生活にも屈することなく、乗り越えてきた今、自殺の理由は見当たらない。さらに、死亡前日、わずかしか残っていない聴力を鍛えるため、妹にラジオの購入を頼んでいた。

5月、香港のケーブルテレビの取材を受け、天安門事件の再評価を求め、民主化の実現に強い意志を示したばかりだった。

北京の経済学者・夏業良氏は死亡の真相究明を求め、署名活動を始めた。香港の民主派団体「香港市民愛国民主運動支援連合会」(支連会)は同氏の死亡を「当局による報復」だと見ており、当局に遺体の返還と調査を求めている。

天安門事件当時、ガラス工場の労働者だった李氏は、工自連を組織して学生のハンストを応援し、積極的にデモに参加していた。のちに国家転覆罪で13年間の懲役刑を受け、2000年に仮出獄したが、2001年5月、天安門事件の再評価を求める署名活動に参加したため、再び同じ罪で10年間の懲役刑を言い渡された。刑務所内での拷問で、両目を失明し、両耳の聴力もほとんど失っていた。刑期満了の2011年5月出獄したが、監視されながら、病気治療のための入院生活をしていた。

(翻訳編集・高遠)
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