自分の過ちに気づき、生まれ変わる(三)

【大紀元日本4月22日】北宋の頃、陝西省渭南市に寇準(こうじゅん)という男がいた。生まれてすぐに父親が亡くなったため、寇準の家族は貧しかった。

寇準の母親は時折、機織りをしながら、「懸命に勉強して、将来は有用な人物になりなさい」と寇準に語った。幼い寇準の知性は子供たちの中でも際立っており、7歳ですらすらと美しい詩を作るほどだった。

19歳で進士に及第し、数々の職を歴任した寇準の評判は、遠く故郷まで伝わった。不治の病にかかり、臥せっていた寇準の母親はそれを聞くと、ある手紙を使用人に渡した。「息子は将来、高位の官職に就くでしょう。もし息子が間違いを犯したら、この手紙をあの子に渡しておくれ」

その後、寇準は北宋の宰相にのぼりつめた。彼は自分の誕生日を祝うため、大勢の客を呼び、贅沢な宴席を設けた。豪華な食事に歌や踊りを添えた宴会は、自分の地位と成功を皆に見せつけるのに十分だった。

使用人は、母親から受け取った手紙を見せるのは今だ、と判断した。寇準が手紙を開くと、そこには小さな火の下で一心に勉強する寇準と、隣で機を織る母親の姿が描かれている。その横には、文が書き添えてあった。「薄暗がりの中、苦しみに耐えて勉強する。自分を修練し、他人のために尽くす人になるように。倹約して生活することが母の願い。将来、裕福になったとしても、貧乏であったことを忘れないように」

手紙は、死の床にあった母親からのメッセージだった。寇準は手紙を何度も読み返し、涙を流した。彼はその場にいた客たちを返し、宴席を中止した。

その後、寇準は常に自分を修め、高い基準で自分を律した。一方、他人には懐深く、寛大に接し、清廉潔白な大臣として広く知られるようになった。

 (文・静遠/翻訳編集・郭丹丹)