女ひとりで世界一周放浪記 9

複雑な歴史に翻弄され続けたウクライナの今

皆様、こんにちは。 今回からはヨーロッパの旅行記となります。 7月16日、約5カ月半いた中南米の旅に終止符を打ち、ブラジルのサンパウロから長時間のフライトの末、ヨーロッパ最初の国となるポーランドに降り立ちました。この記事では、その後移動したウクライナ滞在の様子についてお伝えします。

ウクライナには、7月26日から8月5日までの11日間滞在しました。ウクライナという国について、皆様はどのようなイメージをもたれているでしょうか。私にとってウクライナは、「美女が多いらしい」というイメージ以外、ほとんど知らない未知の国でした。

ウクライナの歴史を辿ると、ソ連崩壊に伴い1991年に国家として独立するまで、近隣の強国に常に脅かされ、その支配を長く受けてきました。故に、ウクライナという国の大きな特徴として、その言語、文化、宗教などあらゆる面において、様々な地域の要素が混じり合っているということが挙げられるでしょう。またウクライナ西部にはウクライナ系住民が住み、東部にはロシア系住民が多く住んでいるため、東西で雰囲気が驚くほど異なります。

ロシア文化の影響を受けているウクライナには至る所で

マトリョーシカが売られている(田中美久 撮影)

ウクライナ中部に位置する首都キエフ。キエフは1500年あまりの歴史を持つ古都で、「森と緑の都」と呼ばれるほど豊かな自然に恵まれています。キエフはこれまでロシアの影響を強く受けてきました。そのため大部分の人々がロシア語を話します。

キエフの街を歩くと、玉ねぎ頭の屋根の煌びやかで独特な色遣いの美しい教会が至る所で見られます。私にとっては初めて見る東方正教の教会です。 ウクライナ国民の約70%は、キリスト教の宗派の一つである東方正教会に属しています。東方正教の教会に入ってみると、これまで見てきたローマ・カトリックの教会とは全く雰囲気が異なっていて驚きました。重々しく厳かな雰囲気、内壁に並べられたいくつもの聖画像イコン。イコンに描かれた人物の瞳を見ていると、何だか吸い込まれそうです。

聖像画イコンの聖母の瞳を見ていると、何だか吸い込まれそうです(田中美久 撮影)

ウクライナの人々は非常に信仰に厚く、敬虔なキリスト教徒が多いようです。教会を出入りする際は必ず胸の前で十字を切り、女性は教会の中に入る時に髪をスカーフで覆います。イコンにキスし、蝋燭に火を灯して一心に祈りを捧げる人々の姿に胸を打たれ、何故か涙が出てきました。宗教に関わらず、真剣に祈る人の姿はとても美しいと感じました。

聖像画イコンを見つめ、一心に祈りを捧げる女性。

女性はスカーフを頭に巻きます(田中美久 撮影)

キエフ以外に、ウクライナ西部のリヴィウという街にも滞在しました。リヴィウはウクライナ第2の都市です。リヴィウにもまた、ポーランドやオーストリア・ハンガリー帝国、ソヴィエトなどにより幾度となく奪い合いをされた悲しい歴史があります。 しかし、現在のリヴィウに住んでいるのはほぼウクライナ系の住民で、最もウクライナ色の強い街とされています。 人々はウクライナ人としての誇りとプライドを持っています。西欧の影響を強く受けたリヴィウの街は明るく華やかですが、観光地化されすぎていない素朴さも残っています。リヴィウの歴史地区はその美しさから「埋もれた宝石」と呼ばれ、世界遺産にも登録されています。

西欧の影響を強く受けたリヴィウの街は明るく華やか (田中美久 撮影)

東部のキエフでは東方正教の教会を多く見かけましたが、リヴィウで見かける殆どの教会は、東方典礼カトリック教会です。東方典礼カトリックとは「典礼は東方正教のスタイルを用いつつ、ローマ教皇権を認めるカトリック」なのだそうです。キリスト教でも様々な宗派があるのですね。また、キエフで話されていたロシア語に変わり、リヴィウでは多くの人がウクライナ語を話します。 リヴィウを含めた西部の人々のロシアに対する反発心は強く、ロシア語を嫌って話そうとしない人も多いそうです。

複雑な歴史に翻弄された現在のウクライナでは、東西の地域対立が深刻化しています。東部の親ロシア派と西部の親EU派は、政治的志向・民族・宗教の違いや経済格差において真っ向から対立しているのです。またクリミア半島の帰属をめぐる闘争も今なお続いています。

このような情勢不安により、ウクライナの経済状況は非常に悪化しています。ここ数年でウクライナ通貨は大きく下落する一方、輸入品の価格が急上昇し、ハイパーインフレが起こりました。今もウクライナ通貨の下落は続いており、ウクライナの国民の生活は混乱しています。実際に訪れてみると、ウクライナの物価は驚くほど安いです。清潔で快適な宿は1泊500円で泊まることができます。公共交通機関の乗り物も軒並み安く、地下鉄を利用すればどこまで行っても一律16円です。

地下鉄はどこまでいっても一律16円。

切符はプラスチック製のコインです(田中美久 撮影)

食事については、輸入食品は高いですが、現地生産の食料は格安です。 キエフを中心に展開するビュッフェ式チェーンレストラン「プザタハタ」。私はこの店が気に入ってほぼ毎日通いました。美味しいウクライナ料理をたった300円ほどで、お腹いっぱい食べることができるのです。現在のウクライナの物価の安さは旅行者としては有難い限りですが、現地の人の生活を考えると複雑な気持ちになります。

ビュッフェ式チェーンレストランのプザタハタでこれだけ食べても300円(田中美久 撮影)

それから気になっている方も多いであろう「ウクライナは本当に美女が多いのか?」という疑問について。これは「全くその通り」としか言いようがありません。少なくともこれまで私が訪れた国の中では、圧倒的に美女率が高いのです。いわゆるスラブ系の透き通るような白い肌、モデル級の抜群のスタイルの女性を、街中で10秒に1人くらいのペースで目撃します。これは大袈裟な話ではありません。

ウクライナの美女率が高い理由の一つとして、歴史上他国からの支配を多く受けてきた中で混血が進んだことが背景にあるようです。またウクライナ女性は美しいだけでなく、美意識も非常に高いという印象を受けました。街で見かける女性はお洒落に服を着こなし、身のこなし方にも品があり、思わずみとれてしまいます。小さな子供を連れているお母さんも綺麗にヘアケアをしていて、同じ女性としてとても刺激を受けました。

街中ではモデル級のウクライナ美女をよく見かけます(田中美久 撮影)

最後に、誰しもが一度は聞いたことがあるであろう、ウクライナの「チェルノブイリ原子力発電所」について触れておきます。この発電所で起こった出来事について深く知るため、キエフにあるウクライナ国立チェルノブイリ博物館を訪れました。この博物館は、1986年に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故の6年後に設立されました。事故当時の状況や被害の規模に関する資料などが展示されています。 日本語でのオーディオガイドを借りることも可能です。

この事故により多くの人々の尊い命、健康、愛しい故郷が奪われました。博物館にある展示物の中には、事故処理に当たり被爆した人々の写真や、放射性物質に汚染されゴーストタウンと化す前の平和だった村々の写真もあり、胸が締め付けられる思いでした。

その他、広島の原爆や日本からの支援に関する展示、福島原発事故被災者へのメッセージなどもありました。館内には日本から寄贈された電子装置が数箇所設置され、日本とウクライナの結び付きを感じました。

放射性物質の影響により立入禁止区域となった住宅で採取された写真の数々。

平和だった事故前の生活の様子をうかがい知ることができる(田中美久 撮影)

2万4千年。これは何の数字かと言うと、チェルノブイリ原発事故で発生したプルトニウムの半減期だそうです。何と気の遠くなるような長い時間なのでしょうか。日本も福島原発事故から約5年経ちましたが、今もなお多くの人々がその影響に悩まされています。原子力発電所事故は過去の歴史ではありません。この問題は私たちの子供や孫、その後もずっと続く世代に影響を与え続けていくのです。私たちは真剣にこの問題に向き合っていかなければならないと強く感じました。

後日、キエフ工科大学にある「ウクライナ日本センター」という施設を訪れました。そこには、日本からの応援メッセージがありました。チェルノブイリ原発事故を経験し、また昨今の情勢に悲しみや不安を抱いているウクライナの人たちに向けたものです。日本の漫画家たちの作った「起き上がりこぼし」と、そこに添えられたメッセージもその一つです。訪れるまで未知の国であったウクライナという国が、とても身近に感じられました。

キエフ工科大学内にあるウクライナ日本センターにて 

ちばてつやさんから贈られた起き上がりこぼしとメッセージ(田中美久 撮影)

私がこれまで訪れたことのある西欧や中欧と大きく異なる文化や宗教、街の雰囲気に始終驚かされ、刺激を受けたウクライナ。歴史上多くの複雑な事情を抱えた国ではありますが、それゆえ色々な国の要素が混じり合い、ウクライナとしての独特な魅力を作り上げている気がします。美しい歴史的建造物が多く残され、食べ物も日本人好みで美味しいです。 私が今回訪れたエリアは比較的治安も良いと感じました。今なら物価も安く旅行もしやすいので、この機会に訪れてお金を落としていくことも、ウクライナ経済のために私たちが出来ることかもしれません。個人的にはウクライナ、非常にお勧めです!

(田中 美久)

関連記事
大学4年の夏休み。私の初海外一人旅はタイでした。旅人の集まる聖地として有名なカオサン(バンコク市内)の安宿で、「世界一周旅行者」を名乗る一人の青年に出会いました。彼は私と同い年で、学生の特権である長期休暇を利用して「今は東南アジアをまわっている」とのことでした。これは私にとって非常に刺激的な出会いでした。「世界一周」という言葉を耳にしたことはそれまでにもありました。それはとってもワクワクするフレーズでしたが、そんな大冒険は自分の人生とは無縁のものだと思っていました。しかし彼の話を聞き、「世界一
メキシコシティーの日本人宿での生活 メキシコ南部の都市、オアハカ。こちらのホステルで、暖かい日差しを浴びながら […]
世界一周2カ国目はキューバです。2月26日から3月3日までの約1週間の滞在でした。
 世界一周の3カ国目は、中米の国グアテマラです。3月10日から4月9日まで約1カ月滞在していました。私たち日本人にとってグアテマラは馴染みの薄い国かもしれませんが、近年、世界一周旅行者の中でこの国はとても注目されています。それはグアテマラに色濃く残るマヤ文化や色彩豊かな民族衣装、優しく穏やかなグアテマラ人の国民性に加えて、格安で「スペイン語留学」ができるからです。
世界一周4カ国目は南米の国コロンビアです。読者の皆様は、コロンビアについてどういったイメージをお持ちでしょうか。「治安が悪そう」などネガティブな印象を持たれている方も多いと思います。私は4月15日から25日までの10日間、コロンビア第2の都市メデジンという街に滞在していました。今回の記事では、このメデジンの紹介を中心に、私のコロンビアの印象についてお伝えします。
私がペルーの旅で最も楽しみにしていたものは、ペルー料理です。「ペルー料理は本当に美味しい」とこれまでにお会いした旅人さんたちが大絶賛されていたからです。私は日本を出発してからメキシコ、キューバ、グアテマラ、コロンビアと旅してきましたが、正直なところ心から「美味しい」と思えた食事にはなかなかありつけず、食に関しては苦戦続きでした。評判の高いメキシコ料理でさえ、私の口に合わなかったのです。
世界一周第6カ国目はボリビアです。ボリビアには5月12日から6月16日までの36日間滞在しました。滞在期間中には7つの都市を訪れましたが、今回の記事では「ポトシ」という都市についてご紹介します。