中国政治改革
習近平氏の政治改革と「中国の夢」(2)
アメリカ軍を手本とする軍事改革と対照的に、監査機関の設立は中華文明の伝統に基づくと考えられる。西欧諸国を見渡しても、行政立法司法の三権に並ぶほど大きな権力を持った監査機関を持つ国は存在しない。会計監査委員会に相当する機関はあっても、その権能は財政面に限られている。
実は、監査機関の設置は中国の秦王朝から始まり、清王朝まで二千年にわたって存在していた。秦漢両王朝では監査機関は「御史」と呼ばれ、六朝以降には名称が「御史台」となり、明王朝と清王朝では「都察院」に改称された。
これは官吏の弾劾や監督を主な職務とし、行政の長である宰相とは独立した地位にあった。これを孫文が中華民国の政治体制に取り込み、現在に至る「五権分立」制度が成立した。五権とは立法・司法・行政・監査・考試(国家公務員の人事)を指し、ここに監査機構が含まれている。
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