孝は百行の本

【二十四孝】母を背負い難を逃れ 貧乏でも親孝行を尽くす

東漢の時代、斉国・臨淄(りん・し、現在の山東省淄博市)に江革(こう・かく)という親孝行の子供がいました。彼は幼少期に父を亡くし、母親と二人暮らしでした。貧しかった江革は必死に働き、母親を支えました。

当時、内乱が多かったために盗賊がはびこり、多くの民家が襲われました。人々は安全な場所へと避難し、江革も年老いた母親を背負って逃げました。

道中、江革は何度も盗賊に遭遇し、襲われそうになりました。そのたびに江革は、「私になにかあれば、年老いた母は一体どうすればいいのでしょうか」と泣いて訴えました。盗人は彼の孝行に心を動かされ、彼を逃がしてやりました。

のちに江蘇省下邳(かひ、現在の徐州市)にたどり着いた時、江革の衣服はボロボロで裸足でした。母親を養うために、彼は懸命に働きました。僅かな賃金を得ると、母親のために衣服を整え、孝行を尽くしました。

母親が亡くなった時、江革は悲しみに暮れて何日も墓を離れず、喪服を脱ごうともしませんでした。親孝行で篤実な人柄が認められ、明帝の時に孝廉の人物として推薦され、官吏に採用されました。また、章帝の時に賢良方正であるとして、「五官中郎将」(漢の時代、宮殿の門戸を守る官職)に任命されました。

(翻訳編集・豊山)