【中国のことわざ】三顧の礼

ある人が劉備に諸葛亮を推薦した。彼が稀代の天才だというのだ。そこで劉備は、関羽と張飛を連れて隆中の諸葛亮に会いに行った。ところが、諸葛亮はあいにく不在で、どこに行ったのか、いつ戻るのか、わからなかった。劉備は残念がることしりきりであったが、しかたなく引き返すことにした。

数日後、劉備は再び隆中に行こうとした。すると、張飛が「人をやってやつを呼んでくればいいじゃありませんか」と言い、劉備はそれを叱った。三人が道の半ばまで行った時、大雪が降ってきた。張飛がまた、「天気が冷え込んで地面も凍っています。引き返しませんか」と言ったが、劉備はとり合わなかった。

ただ、はからずも、諸葛亮はまた不在であった。劉備は嘆息して、「私にはどうしてこう福徳がないのだろうか。先生に会うこともできない」と、未練を捨て切れずに引き返した。

年が明け、劉備は吉日を選んで、再び隆中に行こうとした。すると、関羽が「兄貴はもう二回も行きました。私たちはもう十分礼儀を尽くしました。おそらく、諸葛亮は大した人物ではないので、われわれに会わないよう、避けているのです」と言った。張飛も「兄貴が行くことはありません。俺が行ってやつを捕まえて来ましょう」と言った。劉備はそれを聞いて二人に、一緒に来なくていいと言ったものだから、二人はそれ以上何も言わなかった。

今回は、諸葛亮は家におり、草堂で昼寝の最中であった。劉備は、諸葛亮が目を覚ますまで待とうと考えたが、張飛がまた、「俺が裏庭へ行って家に火をつけてやりましょう。それでもまだ奴が寝ていられるかどうか」と言った。

それを聞いた劉備は、関羽と張飛を門の外に待たせ、一人草堂の入口で4時間ほど待った。諸葛亮が目を覚まし、着替えを済ませると、劉備は伏し拝んで言った。「涿郡の村民で劉備と申します。先生の名を聞きつけ参りました」。

草堂で、諸葛亮は劉備に天下の形勢を分析してみせ、劉備の態度が誠実なのを見て、それに応えて彼を助けることにした。諸葛亮を得て、劉備はついに自身の本懐である漢室の復興を実現することになる。

「三顧の礼」が教えるものは、もし他人の協力を得たければ、まず自身の考え方を正し、謙虚に請い願うという気持ちを持たねばならないということだ。

出典「三国演義」

(2008年4月17日の記事を再掲載いたしました)

                                                               (翻訳・瀞元)

 

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