貞観政要

安泰な時にこそ危難を思う

中国五千年の長い歴史の中で中国が最も輝きを放った時代のひとつとされる「唐」時代。中でも唐の太宗の治世は「貞観の治」と呼ばれ、後世、政治の理想とされてきた。希代の名君と称せられる唐太宗は臣の言をよく容れ、真摯(しんし)な思索を通してこの理想の時代を創造した。『貞観政要』は唐太宗の言行録であり、家臣とやり取りを通して思索を深めていく唐太宗の思想過程が記録されている。『貞観政要』から日本でも徳川家康をはじめ、多くの為政者が「政治はどうあるべきか」を学び、現代においても多くのリーダたちに影響を与え続けている。

安泰な時にこそ危難を思う

貞観15年、太宗は侍臣に尋ねた。「国を維持することは困難であるか、それとも簡単なことであるか」。侍中[1]の魏徴が応え言った。「国を維持することはとても困難なことです」

それを聞いて太宗は言った。「優れた者を登用して、そのものの忠言をよく聞けばよいのではないか。何が困難だというのだ」

再び、魏徴が応え言った。「これまでの王を見てください。国の危難のときは優れた者を登用し、その忠言も聞きますが、国が安定してくると必ず心が緩みます。そうなれば家臣もあえて忠言しようとしなくなり、すると国勢も日増しに衰え、ついには滅亡に至ります。古から聖人が『安きに居りて危うきを思う』のは、そのためです。国が安泰なときにこそ心をひきしめて政治にあたらなければなりません。そこで私は困難なことだと申し上げたのです」

[1]侍中 皇帝の側近で皇帝の質問に備え、身辺に侍する役職

 

(大道 修)