マントウ、由来は「ニセの生首」諸葛孔明のアイデア

中国の蒸しパン「饅頭マントウ)」は、小麦粉を主食とする本土地域で主に食べられています。日本では、コンビニエンスストアでも売られるお馴染みの中華まん、肉まんは、中国では包子(バオズ)と呼ばれています。マントウはいわば、中に何も入っていない中華まんです。

この蒸しパン「マントウ」の歴史は、紀元前771年の周王朝にまでさかのぼります。当時、人々は練った小麦を発酵させて蒸したものを食べていました。

漢王朝のあと石臼が誕生してからは、小麦をひく習慣が生まれました。そして小麦粉を蒸した食べ物は、黄河エリアで一般的に食べられるようになりました。

江西省カン州市に残る記録では、戦国時代・秦の第28代君主である昭襄王(しょうじょうおう)の時代には「餅(ビン)」という、穀物に塩と水を加えて練ったものを焼いていた記録があります。

中国の歴史文学者、蕭子顕(しょうしけん)は斉の記録に、王朝の儀式では「麺起餅(メンチービン)」というパンのようなものを出していたと記しています。そこには「軽くふわふわに焼き上げるために酵母を使う」と記されています。「麺起餅」は中国最古の蒸しパンと言われています。このように、蒸しパンは大昔から王朝の儀式で食べられてきました。

では誰が、マントウを発明したのでしょう? 明王朝の学者Lang Yingによると、マントウという名前は「蛮人の頭」からきているそうです。

三国時代、南蛮人(南部未開拓地の野蛮な人々)は神への捧げものとして、人間の頭を使っていました。三国志の蜀の宰相・諸葛亮は戦地へ赴き、南蛮人の地域を制圧しました。

帰途、諸葛亮の率いる軍隊は、嵐で荒れ狂う河川・瀘水を渡らなければなりませんでした。地元の風習では、「人間の頭を生け贄として川に捧げるのが、氾濫を鎮める唯一の方法」と言いました。しかし諸葛亮は、罪のない人を生け贄に殺すことを避けたいと考えます。

諸葛亮は、部下たちに牛肉や羊の肉を小麦粉で練った皮に包んで蒸すように言いました。それを人間の頭に見立てて、荒れ狂う川に投げ入れたところ、川の氾濫がおさまった故事から、この食べ物が生まれたそうです。

神へ捧げる「ニセの人の頭」だったので「神を欺き、本物の頭だと信じ込ませる」意味から「瞞頭(マントウ)」と名付けられ、それが「饅頭(マントウ)」に変化しました。人の頭の形を模していたことから、「蛮人の頭」とも呼んだそうです。

(新唐人より転載)