大紀元時報

小人は本当に存在していた!? 

2019年06月11日 15時02分
『ガリヴァー旅行記』に描いてされる場面:リリパットの市民に囲まれたガリバーを描いた壁画(Wikimedia Commons / イメージの作者:User:Javier Carro / 壁画の作者:未知 / CC BY-SA 3.0)
『ガリヴァー旅行記』に描いてされる場面:リリパットの市民に囲まれたガリバーを描いた壁画(Wikimedia Commons / イメージの作者:User:Javier Carro / 壁画の作者:未知 / CC BY-SA 3.0)

 地球上にかつて現在の人類よりはるかに小柄の人種、小人が存在していた。これに関して世界各地に伝説が残っており、多くの書物にも記録されている。更に近代の考古学研究から小人が存在していた証拠が発見され、これによって小人はかつて実在していた人種であることが分かった。

『山海経』の記録

 中国2000年前の戦国時代に書かれた世界最古の地理書『山海経』の中に、小人に関して次のように記録されている。「東方に小人の国があり、そこの人々は体が小さく、身長が9寸ぐらい、カモメが彼らを食べるため、単独行動はしない」

『太平広記』の記録

 北宋時代(960年 – 1127年)に成立した類書『太平広記』の中にも類似した記録があり、それによれば、西北海戌亥の地方に「鶴民国」があり、人の身長は3寸、飛ぶように歩くことができ、一日に千里も走れる。よくカモメに食べられる。そのため、鶴民国の人たちは木で自分たちと同じ形の人形をたくさん彫刻して野外に置き、カモメはこれを小人と間違って食べた後、窒息死をしてしまう。これを繰り返しているうちに、カモメは小人を食べなくなった。ほとんどの鶴民は谷川の岸に城を建てて住んでおり、30歩から50歩の広さの城が多数造られている。春と夏には鶴民は草の種を食べて、秋と冬には草の根を食べる。夏には裸のままだが、冬には草で編んだ服を着る。養生法も分かっている。

『閲微草堂筆記』の記録

 『閲微草堂筆記』は清代の学者、中国最大の漢籍叢書『四庫全書』の総編集を担当していた紀昀(きいん、1724年~1805年)が編集した書物である。その中に小人に関して、次のような記録がある。「ウルムチ(新疆地域)の深山の中で、放牧者は1尺ぐらいの小人を見かけることがある。老若男女が揃っている。ギョリュウの花が咲く時期に、小人たちはその枝を折って丸く編んで帽子のようにし、それを頭に被ってみんなで踊る習慣がある。時に放牧者のテントに潜ってものを盗むこともある。捕まるとすぐ跪(ひざまず)いて泣く。縄で縛れば、物を食べずに死んでしまう。放したら、すぐには走って逃げないが、ゆっくり歩いて離れる。大分離れてから、初めて走り出して山に逃げ込む。それらの住むところは誰も分からない。且つ丘県の丞天錦は派遣の命を受けて牧場を巡視した際に、捕獲した小人をもらって観察してみたところ、その髪も眉も人間とそっくりであった。こうしてみれば、『山海経』に記録した小人の事は間違いなく事実である」

『述異記(じゅついき)』の記録

 清代の東軒主人が編集した『述異記』の記録によれば、「康煕31年(紀元1692年)5月、外国から小人を献上された。その長さは2尺あまり、顔と身体は普通の人とそっくりで、年齢は40歳ぐらい。四訳館(外交部門)は小人のために衣服を作り、上奏して宮廷に送った。この小人は小さい傘を手に持ってゆっくり歩き、周りの人に触られると、異常な音を発し、サルの声に似ている。それを見るための見物人は道を塞ぐほど多かった」

考古研究の発見

 アメリカ人類学者のフランツ(1858年~1942年)博士は、メキシコ中部で考古調査を行った時、洞穴の中に奇怪な図案が見つかり、地面を掘ってみたところ、小さな生活用具や装飾品が出てきた。更に掘っていくと、長さ12㌢の人体骸骨が見つかった。鑑定の結果では、これは子供の骨格ではなく、成人のものであり、しかも5千年前のものだった。

 学術雑誌『ネイチャー』2004年10月27日の報道では、考古学者はインドネシアのフローレス島で身長1㍍ほどの小型人種の遺骨を発見したとのこと。この小型な人種の頭の大きさは普通の人類の頭の四分の一しかない。科学者達は彼らが少なくとも1万8千年前からこの地区に生存していたと考えている。現地での言い伝えによれば、数百年前にオランダの探検家がこの島に来た時には、まだこの小型な人が存在していたという。しかし、最終的にこの人種が確認できたのは100年前のことだと言われている。

(ビジョンタイムズから転載)

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