歴代に尊重された人物 孔子

中国の悠久の歴史の中で、各王朝に有名人は少なくないが、その時代が過ぎるとともに多くの人の名が消え去ってゆく。僅かな人だけが、歴史とともに忘れられることなく、今でも人々に尊重され続けている。その一人が孔子である。

孔子(紀元前552年10月9日から紀元前479年3月9日まで)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者であり、儒家の始祖でもある。孔子が世を去った翌年、春秋時代の魯の国の哀公(あいこう)が孔子廟に祠堂を建てて祭祀を行った後、漢高祖は儒家の礼法を用いて朝儀(ちょうぎ、朝廷が行う儀式)を定めた。漢の武帝は、董仲舒(とう・ちゅうじょ)の提案を受け入れて諸子百家を排斥し、儒学のみを尊重した。

唐太宗は、孔子に文宣王を追贈(ついぞう)し、清朝の聖祖(せいそ)康熙(こうき)皇帝は、自ら曲阜(きょくふ)にある孔子廟を訪れ、「万世師表」という四文字を書き入れるなど、中国の歴代王朝はみな孔子に追贈または祭祀を行った。漢化があまり進まなかったモンゴル族の元でさえも、元成宗の時に孔子に「大成至聖文宣王」を与えたほどだった。

授業をしている孔子( パブリック・ドメイン)

孔子の儒家思想は時代や民族を超え、中国や韓国、日本を含むアジア諸国や西洋にまで多大な影響を及ぼした。啓蒙時代のフランスの有名な哲学者ヴォルテールは、自身を「孔子の生徒」と称するほどだった。

中国では漢の時代から数千年間、孔子廟に線香が途絶えることはなかった。中国共産党が政権を奪取した後、自らの共産思想の邪説を広めるために、意図的に伝統文化を破壊し、孔子も批判の対象になり、儒家文化は全般に排除された。

しかし、共産思想が国内外で市場を失った現在、共産政権は孔子の儒家思想を持ち出し、まるで自分たちが中国伝統文化の継承者であるかのように振る舞うようになった。しかし、共産党政権が持ち出したものは正統な儒家思想ではなく、彼らの政権維持に有利な部分だけを取り込んだだけのものにすぎない。孔子の思想を歪曲して利用し、自分たちの統治基盤を強化しようとする不純な意図の現れにほかならない。共産党の唯物論と階級闘争の思想は、伝統文化とは根本的に排斥し合う異質なものなので、まるで水と油のように、互いに受け入れることはできないものである。

※看中国より転載