鬼神の按排で盗賊が自白に

唐の敬宗宝暦三年(827年)のことです。涇源県に王安国という農民が住んでいました。ある日、彼の家に手に刃物を手にした2人の盗賊が侵入しました。

盗賊は毛皮の服など高価なものを全部盗み取りました。王安国は怖くて息を殺しているばかり。この時、眠っていた王安国の6歳の息子、何七が目を覚まし大声で叫び、盗賊が射った矢に刺され、死んでしまいました。家にあった二匹の紫のロバも盗まれました。

夜が明け、村の人々は集まって盗賊を捕まえる方法を考えていたところ、何七のが戻ってきてこう語りました。

「私の死は宿命づけられたものです。どうか悲しまないでください。ただ両親と永別するのが切なくて心が痛みます」

何七は、長々と哀哭しました。王安国と部屋の中にいる5、60人の村の人々も皆んな悲しくて泣き止みませんでした。

何七は話を続けました。

「みんな盗賊を追いかける必要はありません。来年の5月になるとやつらは自ら捕まりに来ます」

何七は父親に盗賊の名前を告げ、忘れないよう何回も言い聞かせました。

次の年、麦の収穫の時期が来て王安国一家は収穫の作業で忙しい毎日を送っていました。しかし、ある日の朝、どこからか2頭のが来て麦田を踏み潰したので、王安国は牛を捕まえて村の人々に尋ねました。

「だれかの牛がうちの麦田を踏み潰した。牛の飼い主がその損失を賠償しないと、役所に罰を下してもらうよう訴えてやる」

しかし、村の人々はみんなこの牛を飼っていないと言いました。

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その時、別の村から来た2人の男が来て

「これは私たちの牛です。昨日の夜、突然逃げ出しましたが、ここにいるとは思いませんでした。麦田の損失を賠償しますので牛を返してください」と言いました。

王安国と村の人たちは、男たちの出身地や牛を買った経緯などを尋ねているうち、その中の一頭の牛が紫のロバと交換したものと知りました。王安国の頭に何七の話が思い浮かび、彼らの名前を聞くと、それはまさに何七が死んだあと帰ってきて教えてくれた盗賊たちの名前でした。

「あなたたちは去年、我が家に侵入して私の息子を殺し、家のものを盗み取った盗賊だろう!」

王安国はすぐに村の人々に盗賊を捕まえろと言いました。

2人の男は真っ青になり、「全ては運命だ!俺たちは罪から逃げられなかった!」と事件の経緯を白状し始めました。

「去年、人殺ししたあと、俺たちは北へ進み、慶寧の郊外に住み着いた。日にちが経ったのでもう大丈夫だろうと思って、牛を買って岐州に帰る準備をしたが、この村から20里ごろ離れたところまでくると、牛が前に進もうとしなかった。だから一休みをしてから行こうとした。そこで眠っていたら、夢の中で6、7歳ぐらいの男の子が裸になって踊っているのが見えた。しばらくするとだんだん頭が痛くなり、寝込んでしまった。次の朝、牛がいなくなり、牛を縛っていたロープは誰かに解かれたようだった。そして牛の足跡を辿るとここまできた」

「これはもう去年の事件ですが、鬼神が私たちと牛をここにくるように指示したのに違いない。これは天の按排なので、私たちは自白するしかありません」と盗賊たちは嘆きました。

『集異記』より

(翻訳編集・唐玉)