【紀元曙光】2020年1月19日

戊辰戦争は1868年1月19日(慶応3年12月25日)に、江戸の薩摩藩邸が焼き討ちに遭って消失した事件を発端とする。庄内藩指揮下の新徴組が襲撃、放火した。

▼この戦いを挟む時期を、次代の元号を冠して明治維新と呼んでいる。維新とは、中国古典の一つである『詩経』に見られる言葉だが、初めて引用したのは幕末の水戸藩士・藤田東湖とされる。

▼時代を新たにする、というのが維新の基本的な意味であろう。明治維新が「正義」であったかどうかは、分からない。ただし必然ではあっただろう。江戸幕府にとって、対外圧力が高潮する当時の世界情勢は、とても耐えられるものではなかった。

▼政治の中心は江戸にありながら装飾的な権威は京都にあり、行政は各地の諸藩に委任するという、サーカスの曲技的な方法で、徳川三百年はとりあえず平穏にやってきた。それは奇跡的な成功かも知れないが、筆者も江戸時代好きなので、良かったと思っている。

▼その江戸幕府が瓦解するに当たり、かつて関ヶ原で敗れた長州や薩摩が、恨みを忘れぬ亡霊のごとく東征してきた光景は、想像するに不気味なものがある。幕末から明治への激動の歴史は、真っ先に攘夷に沸騰した水戸藩が真っ先に消え、諸藩の動揺のなか、最後まで生真面目に武士道を貫こうとした会津藩が満身創痍となり、函館に走ったわずかな残り火が消えて、終わった。

▼戊辰戦争は、鳥羽伏見などの西国から始まった印象をもつが、花火の着火点は江戸であった。火が着くよう秘密工作を指示したのは薩摩の西郷隆盛である。歴史は、なんとも興味深い。

関連記事
1271年、モンゴルのフビライ・ハンが元を建て、初めての漢民族以外の皇帝となりました。その後、数十年にわたり、中国はかつてない規模の帝国となり、元は文化の多様性と国際貿易の栄えた時代となりました。
明の最初の皇帝・太祖の生い立ちは、朝廷生活とはほど遠く、彼は朱元璋と名付けられた農民の子供でした。彼は最初、僧侶の道を歩みましたが、モンゴル主導の元が朝廷内の闘争で弱体化する中で反乱軍に参加し、まもなく右に出るもののいない軍事家として才気を発揮することとなりました。
胃酸逆流の症状を抑える等、一般的な胃腸薬を服用している人は、知らず知らずのうちに偏頭痛を発症するリスクを高めているかもしれません。 このような一般的な治療薬と偏頭痛との関連性について、アメリカ神経学アカデミーが発行する「Neurology Clinical Practice」オンライン版に掲載されました。研究では、胃腸薬が偏頭痛を直接引き起こすとは断定されていないものの、両者の間には何らかの関連があるのではないかと考えられています。
子供のいじめ、自殺、暴力・・・昨今、心の痛むニュースが後を絶えません。生まれてきた時は、誰もが純粋で善良だったはずなのに、何が子供たちを悪へと走らせるのでしょうか。人生には学校の教科書から学ぶことのできない、大切な価値観があることを子供たちへ伝えることが重要です。将来を担っていく子供たちに、ぜひ読んでもらいたい物語を厳選しました。
さまざまな予測不可な症状に悩まされていませんか?一つの症状が改善されると、また別の症状が現れると感じていませんか?それはマスト細胞活性化症候群(MCAS)が原因かもしれません。