【紀元曙光】2020年3月8日

相撲という競技がどのジャンルに帰属するか、考えている。スポーツか、武道か、あるいは大勢で見るから娯楽か、入場が有料だから興行か、はてさて何であろうか。
▼一概には言えないが、淵源をたどれば、相撲は神事である。土俵上で清めの塩を撒き、拍手を打つのは、もとは神前であることに由来する所作であろう。塵手水(ちりちょうず)は、戦いの前に、身に寸鉄も帯びていないことを示す作法だが、そのフェアプレー精神も神前なればこそのものである。
▼そうした相撲には、神事であるがゆえの意味が付加される。天下泰平、五穀豊穣、国家繁栄といった公共の福祉を願うこともあれば、時代によっては疫病退散など、この世の邪気、妖気を打ち祓う場合もある。
▼力士が日に何百回と踏む四股(しこ)は、今日では足腰の鍛錬のために行われているが、もとは土中の邪気を祓い、荒ぶる地神を鎮撫する意味が込められていた。
▼今年の春場所は、史上初めて、客席に観客を入れない「無観客」で行われる。その決断で良かったと思う。ともかく中止にはしなかった。それは日本の神事である大相撲が、中共ウイルス(新型コロナウイルス)とがっぷり四つに組んで、勝てずとも敗れなかったことを意味する。
▼昔も今も、日本人は相撲が大好きだ。太った巨漢の力士は、モデル的な美しさではないが、日本では最高の「いい男」なのである。巡業などで力士がファンの子どもを抱いて写真を撮ることにも、子どもが大きく強く育つようにという、親の神への祈願が込められている。我ら日本人、病気なんぞに負けるまい。いざ、立ち合いである。