1922年4月3日、ヨシフ・スターリンがソ連共産党の書記長に選出された。
▼小学校の頃、書記というのは、学級会議で話したことをノートに記録する係だと理解していた。高校の世界史で、用語として書記長だの総書記だのが出てくると、なんで記録係が政治のトップになるのかと、合わない眼鏡をかけたような違和感を覚えた。
▼その後に知るのが、社会主義国家における書記、第一書記、書記長、総書記などという仰々しい党の肩書きは、巨大な権力(特に人事権)を有するということだ。多くの場合、政府の長である総理や国家元首である主席より、実質的に上位となる。
▼筆者もふくめて、日本人には理解しにくい感覚だろう。ただ、レーニンの跡を継いだスターリンが歴史上なにをしたかは、読者諸氏もご承知の通りである。赤いツァーリと呼ばれた彼は、まずは政敵でメキシコに亡命していたトロツキーを、刺客を差し向けて暗殺する。刺客は、スペイン共産党員のメルカデルという男だった。
▼暗殺の後は、当然ながら、トロツキー派を一掃するための大粛清が行われた。世界革命を理想とするトロツキーと、一国社会主義を目指すスターリンとの対立、などという理屈はどうでもよい。敵を皆殺しにするというのが、この悪魔的思想の、古今東西を問わぬ普遍性である。ゆえに中国も、不幸にして同様の歴史となった。
▼スターリンも、毛沢東も、無辜の人民をどれだけ殺しただろう。中ソ関係が悪化する以前、後発の中国は「ソ連のお兄さんに学べ」などと、猫のようにすり寄っていた。気持ち悪さに、身震いがする。