【紀元曙光】2020年8月10日

(前稿から続く)武士道を具現するために、人間は潔くなければならない。

▼先述の『宮本武蔵』を、また思い出してしまうのだが、沢庵和尚は、千年杉へ吊り上げられた武蔵(たけぞう)に向かって、こんな説教をしている。

▼「たとえば、おぬしの勇気もそうだ、今日までの振舞は、無知から来ている命知らずの蛮勇だ。人間の勇気ではない。武士の強さとは、そんなものじゃないのだ。怖いものの怖さをよく知っているのが人間の勇気であり、命は、惜しみいたわって珠(たま)とも抱き、そして、真の死所を得ることが、真の人間というものじゃ」。

▼吉川英治という、小学校も卒業せずに中退した学歴の小説家に、中学生だった小欄の筆者は、人生の基盤を授かった。『宮本武蔵』が朝日新聞の連載小説に登場したのは昭和10年8月。やがて戦時色がつよくなる時代に、広く人気を博した。一乗寺下り松に待つ吉岡一門73人のなかへ、二刀で単身斬り込んでいく宮本武蔵に、戦地へ向かう若い兵士の多くが自身を重ねたといわれる。

▼「潔く」とは、精神の清潔さのことであり、命を無駄にすることではない。吉川英治が、小説のなかで沢庵和尚に言わせたのは、「命を惜しみ、いたわり、そして真の死に場所を得る」という、背反的でありながら矛盾しない武士道の理念であった。

▼新渡戸『武士道』へ話を戻さねばならない。その潔さは、究極的に、何のために要求されるのか。新渡戸は、「武士道は、個人よりも、公(おおやけ)を重んじる」と説く。忠臣蔵で、脱落せずに最後まで忠義を貫いた四十七士が称賛される理由は、ここにある。(次稿へ続く)

関連記事
とんでもないおふざけと残酷なディストピアを力づくで押し付けようとする単一の方針が、これほど急速に地球全体を支配したことはない。2020年、コロナウイルスを封じ込めようとする無益な試みによって、これは起こった。
1271年、モンゴルのフビライ・ハンが元を建て、初めての漢民族以外の皇帝となりました。その後、数十年にわたり、中国はかつてない規模の帝国となり、元は文化の多様性と国際貿易の栄えた時代となりました。
明の最初の皇帝・太祖の生い立ちは、朝廷生活とはほど遠く、彼は朱元璋と名付けられた農民の子供でした。彼は最初、僧侶の道を歩みましたが、モンゴル主導の元が朝廷内の闘争で弱体化する中で反乱軍に参加し、まもなく右に出るもののいない軍事家として才気を発揮することとなりました。
胃酸逆流の症状を抑える等、一般的な胃腸薬を服用している人は、知らず知らずのうちに偏頭痛を発症するリスクを高めているかもしれません。 このような一般的な治療薬と偏頭痛との関連性について、アメリカ神経学アカデミーが発行する「Neurology Clinical Practice」オンライン版に掲載されました。研究では、胃腸薬が偏頭痛を直接引き起こすとは断定されていないものの、両者の間には何らかの関連があるのではないかと考えられています。
子供のいじめ、自殺、暴力・・・昨今、心の痛むニュースが後を絶えません。生まれてきた時は、誰もが純粋で善良だったはずなのに、何が子供たちを悪へと走らせるのでしょうか。人生には学校の教科書から学ぶことのできない、大切な価値観があることを子供たちへ伝えることが重要です。将来を担っていく子供たちに、ぜひ読んでもらいたい物語を厳選しました。