【紀元曙光】2020年8月20日

わずか半年前の日本。マスクを求めて、早朝から薬局などに人が殺到した。
▼あの狂奔ぶりは、何だったかと思う。いま街を歩くと、必ずと言ってよいほど路上にマスクが落ちているのが見つかる。ゴミが落ちているのは好ましくないが、マスクに不自由ない状態になったのは結構なことだろう。
▼医療現場で使うマスクや防護服は、当然ながら、一回きりの使い捨てにする。ただ、一般の人が使うマスクは、布製のアベノマスクでない不織布のものであっても、手のひらで丁寧に洗って干せば、結構な回数を再生して使えるものだと分かった。筆者もそうしているが、それでいいではないか。マスク顔に酷暑は辛いものだが、お互いの気遣いのなかで、もうしばらく我慢の日々を続けるしかないだろう。
▼8月15日、中国武漢で芋を洗うように人々が密集したプールを会場に、音楽のナイトステージが行われていた。日本の終戦記念日とは無関係だろうが、それにしても、この箍(たが)の外れようには唖然とさせられる。
▼5月中旬以降、武漢では「ウイルス感染者が出ていない」という。もちろん、信ずるに値しない。それ以上に腹が立つのは、同じ中国国内で大規模水害や農作物の不作、その他あらゆる大災害が今まさに同時発生しており、その数千万の被災者はこの世の地獄にいるにもかかわらず、武漢のプールではお祭り騒ぎであることだ。
▼人間が、だめになる。それは他人の苦しみへの想像力がなくなることだ。そうした人間には、恐るべき結末が待っている。あのプールの中国人に、小欄の声が届かないのが、もどかしい。