【紀元曙光】2020年10月15日

(前稿より続く)すごいと思うのは、そうした歴史のダイナミズムが、チンギス・ハンを家長とする子や孫たちという、いわば一家族から出たものであることだ。
▼アジアからヨーロッパ、イスラム世界まで及んだモンゴル帝国の覇権。これほど巨大な例は、中国史にもない。それゆえにチンギス・ハンは創業の英雄なのだが、征服された側にすれば恐るべき魔王に違いない。
▼中国も、元朝のころはモンゴル人の支配下に甘んじた。朝鮮半島の高麗はもっと悲惨であった。悲鳴をあげるほど無理な要求を、元朝から突き付けられる。莫大な費用をかけて軍船を作らされた上、行きたくもない日本遠征に駆り出されたことは、日本人の筆者にも気の毒に思えるほどだ。
▼余談ながら、と書くと司馬遼太郎さんのマネになってしまうが、そのモンゴル好きの司馬さんもどこかで述べているように、モンゴル人は強大な武力で征服はするが、細かい統治はしないし、できない。馬上にあってこそのモンゴル人である、と彼らは思っている。そのため農業や役所仕事は、すべて漢人にさせるのである。
▼元朝には四つの階層がある。モンゴル人が最上位で、その下に、漢人より早くモンゴルに服した色目人(しきもくじん)という階層を設けた。これは西域の民族で、トルコ系やイラン系などのイスラム教徒が主であった。その下が、最も多い漢人。最下層が、最後までモンゴルに抵抗した南宋の遺民である南人となる。
▼それを今日の中国人が遺恨にしているとは思えないが、モンゴル人にすれば「何を今更、中国人なんぞに服するか」という気概は相当強いはずだ。(次稿へ続く)