【紀元曙光】2021年1月18日

昨年2月頃からか、日本にマスク・パニックの嵐が吹き荒れた。
▼マスクの製造元が中国に偏重していたことが主な原因だろう。ただ、意図的な買占めによって、日本のマスクを一時的に欠乏させるという某国の「陰謀」があったらしい。その影響かはさておき、朝の開店前から、マスクを求める人々が行列をつくり、そこが「密」になっていた。
▼日本政府からのプレゼント「布マスク2枚」も、今となっては、奇妙な記憶として懐かしい。確かに、やらずもがなの政策であった。ただ、それほどマスクを求める「空気」が、その時の国民側にあったのではなかったか。結果論だが、2枚郵送の前に「手作りマスクでも日常の用途には足ります」と、政府から国民へアナウンスしてもよかっただろう。
▼いまやマスクは日本人の顔の一部となった。ウイルス感染防止という本来的な意味のほかに、そうすることが新しい生活様式であり、その場所でのマナーになった。筆者自身のことだが、例えば地下鉄の車内でマスクをするのは「ワタシ一応つけてますよ」を周囲に見せる感覚が、正直つよい。自戒を込めて言うが、やはり本来の目的である「感染しない。させない」を努めて心がけたい。
▼一般用のマスクには、その素材から不織布、布、ウレタンなどの種類がある。そのうちウレタンマスクは(場所によっては布マスクも)有効性が劣るので、入室する際「不織布マスクに替えてください」と言われるケースが多くなってきた。
▼新しい生活様式も、固定された概念ではなく、少しずつ変わる。水の流れのように、しなやかでありたい。