【紀元曙光】2021年1月24日

49年前のこと。グアム島は、すでに観光の島として日本でも知られていた。
▼1972年1月24日。グアム島の密林のなか、穴の住居でサバイバル生活をしていた旧日本軍の兵士・横井庄一さんが地元住民に発見された。終戦時には30歳。それから27年が経っていた。
▼士官ではなく最終階級は軍曹だが、横井さんも、生きて帰らぬ覚悟の軍事教育を受けていたのは言うまでもない。そこで帰国時に語ったという「恥ずかしながら帰って参りました」は、実はご本人の言葉通りではないが、その年の流行語になった。ただしテレビの娯楽番組で、この言葉を、ボロボロの軍服を着たタレントがギャグに使っていたのには、見ていた小欄の筆者は「こんなの、やっていいのかな?」という懸念を覚えた。
▼その2年後、フィリピンのルバング島から陸軍少尉の小野田寛郎さんが生還して、日本人は再び驚愕することになる。ゲリラ戦という「任務継続中」の小野田さんにとって、生きることは、玉砕を厳禁された命令の結果だった。抜き身の日本刀がジャングルから現れたような、すさまじい鋭さであった。
▼横井さんは、生きるために、生きた。命をつなぐ食べ物は、全て自分で工夫して得る。魚を獲る竹カゴや木椀など、各種の道具も手作りした。生きるには、知恵の有無がものを言う。横井さんは、まさに知恵の人だったと言ってよい。
▼筆者自身も含めてだが、今の日本人は、そうした知恵や工夫が湧いてくる思考を備えたほうが良いように思う。日常が突然「非日常」に変わっても自力で生きてゆける。そのための備えである。