【紀元曙光】2021年1月28日

どこにもぶつけられない悔しさを、ご当人たちに代わって書く。
▼仮に「大学の新入生」とするが、大学以外の学校の学生も含む。昨年4月と言えば、日本でも新型コロナウイルスの脅威が、3月29日に急逝した志村けんさんの突然の訃報とともに、連日すさまじく伝えられていた。
▼日本の各大学は、新入生が入学金や授業料をきちんと納め、授業を受ける正当な権利を有した上で、キャンパスでの新生活を夢見て入学した場所ではなくなっていた。感染拡大の防止からすれば、やむを得ない判断であったことは分かる。非常事態といえばそれまでだが、その学校が学生に対して行うべき対面授業が消えてしまったら、語弊を承知で言えば、前金だけ取られる被害に遭った感覚に近いものがある。
▼もちろん大学側にも、さまざまな苦慮があった。オンライン授業は代替策の一つであろう。だが、これは「授業」にはならないのだ。学ぶ意欲のある学生と、誠意ある教師にとっては、本当に、心底悔しい。そうではない怠惰な学生と教師にとっては、さして問題ではなかろうが、やはりこの異常状態が汚水のヘドロのように固まるのは、国家にとって大きな損失にもなるだろう。
▼明らかに不十分な「授業」に対し、授業料の一部返還、または次年度授業料の減免を求める学生側の声はあがるが、大学側が誠実に応じる気配は、筆者は寡聞にして聞かない。
▼年明けて、もう1月末。通常ならば1年間の授業が終わり、単位認定の期末試験をむかえる頃である。大学生の皆さん。ウイルスにも、社会の理不尽にも、負けないでいただきたい。