【掌編小説】炭売りのじいさん  白居易「賣炭翁(炭を売る翁)」より

長安の南に、終南山という山がある。
 その山の麓に、炭売りのじいさんがいた。山の木を切り出して炭を焼き、じいさんと同じくらい歳を重ねた老いぼれ牛に荷車を引かせて、長安の街へ炭を売りにくる。
 もう何十年、こんな暮らしをしているのだろう。深い皺の刻まれた顔は、炭焼きの煙と灰で煤けており、頭も、両手の指も木炭で真っ黒になっている。
 「人から見れば、何でこんなに苦労して炭焼きをやり日銭を稼いでいるのか、と思うだろう」と、当人である炭焼きじいさんは思っている。だが、そこは慣れたもので、じいさんにはこの稼業が合っているらしい。どうせ身に着けるだけの粗末な衣服と、口に入れる喰い物を買うだけの銭だ。それ以上、望みはしないし、望もうとも思わない。
 ただ、日々の商売が無事にできればいい。無欲な炭売りじいさんは、そう思っていた。
 季節は、まだ寒い冬。長安の冬は長く、厳しい。ところが、炭売りじいさんの着ているものといえば、夏に着るような単衣が一枚だけである。人が見れば、まったく気の毒な老人にしか見えないが、じいさんはそれを悲しいとも辛いとも思っていない。むしろ、もっと寒くなることを願っている。温かくなれば、炭の値段が下がってしまうからだ。
 じいさんの願いが天に通じたか、昨夜から降り積もった雪は、長安城外で一尺にもなった。これはいい商売ができるぞと意気込み、明け方から荷車いっぱいに炭を載せると、凍りついた地面をゴロゴロと老いぼれ牛に引かせていった。
 雪の道をゆっくり進んで、長安の街へ着いたのは、もう昼時だった。牛はへとへとに疲れ、じいさんも腹ぺこ。市場の南門の外の、雪が少し解けて泥になった路上で一休みしていた。
 するとそこへ、宮殿の中から、馬に乗った二人が威勢よくやってきた。黄色い服(宦官)を着た宮中のお使いと、それを警護する白い上着の若武者である。
 炭売りじいさんには何を言っているのかよく分からなかったが、黄色い服の人が、女のような甲高い声で、手にした文書を朗々と読み上げた。「恐れ多くも陛下の勅命である」。
 そのあと、白い上着の警護官が、炭売りじいさんをどなりつけて荷車の向きを変えさせると、しぶる牛を叱って宮殿のほうへ向かわせた。車に積んだ千余斤の炭が、そっくり宮中へ召し上げられることがようやく分かった。
 不服だったが、宮中のお使いに駆り立てられたのでは、どうにもならない。
ふと見ると、車を引く牛の首に、生絹(きぎぬ)だか綾衣(あやぎぬ)だか知らぬが、布地がひもで吊り下げられている。炭の代金のつもりらしいが、あれでは全く割に合わない。半値以下で買い叩かれたようなものだ。
 炭売りじいさんは、肩を落とし、とぼとぼとついていくしかなかった。(了)
(鳥飼聡)