<写真>東日本大震災から10年 同じ場所から撮影 奇跡の一本松は記念公園に
東日本大震災からまもなく10年が経つ。宮城、岩手、福島など東北沿岸部で被害が大きかった地域を、同じ場所から捉えた写真を掲載する。
2011年3月12日に福島県南相馬市で発生した巨大津波によって打ち上げられた、広い範囲に渡るがれきを見ている地元住民 (上) 。同じ場所で、ほぼ10年後の2021年1月25日に撮影(下)。
未曾有の災害を引き起こした大地震は、2011年3月11日14時46分頃に発生。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130キロメートル付近で、深さ約24キロメートルを震源とする地震だった。地震の規模を示すマグニチュードは9.0で、日本国内観測史上最大規模。アメリカ地質調査所によれば1900年以降、世界でも4番目の規模の地震だった。
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