大紀元時報

【漢詩の楽しみ】客至  客(かく)至(いた)る

2021年03月25日 12時02分
大紀元エポックタイムズ・ジャパン
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 舎南舎北皆春水、但見群鷗日日來、花徑不曾縁客掃、蓬門今始為君開、盤飧市遠無兼味、樽酒家貧只舊醅、肯與隣翁相對飲、隔籬呼取盡餘杯

 舎南舎北(しゃなんしゃほく)皆(みな)春水(しゅんすい)。但だ見る群鴎(ぐんおう)の日日(ひび)來たるを。花径(かけい)曽(かつ)て客に縁(よ)って掃(はら)わず。蓬門(ほうもん)今始めて君が為に開く。盤飧(ばんそん)市(いち)遠くして兼味(けんみ)無く、樽酒(そんしゅ)家貧にして只(ただ)旧醅(きゅうばい)あり。肯(あえ)て隣翁(りんおう)と相対して飲まんや。籬(かき)を隔てて呼び取り、餘杯(よはい)を尽くさん。

 詩に云う。我が家の北にも南にも、春の水が流れている。この季節になると、毎日ただ鴎(かもめ)の群れ来るのを目にするばかりだ。花咲く小径も、わざわざ来客のために掃くことなどしなかったが、貴君をお迎えするにあたり、我が家の粗末な門も初めて開きましたよ。皿に盛り付ける料理など、市場まで遠いので、二品もありません。樽の酒も、我が家は貧しいため、古い濁り酒が残っているばかり。こんな粗末な酒肴ですが、隣家の爺さんも呼んで、一緒に飲みませんか。いま垣根ごしに呼びますから、さあ三人で、残りの酒を飲み尽くしましょう。

 杜甫(712~770)50歳ごろの作。四川の成都にいて、家族とともに平穏な日々を送っていた頃の、まことに幸福感あふれる詩である。うららかな春の日、杜甫の住む草堂に、好ましい来客があった。貧しいながらも喜んで酒肴を出し、客をもてなす杜甫の様子が手に取るようにわかる。原注によると、崔(さい)という姓の県令が訪問したらしい。

 実際に、杜甫が用意したものは「料理がたった二品」「残りものの古い酒」ではなく、そこそこの接待をしたはずだ。ただ、詩の表現は「粗末な料理と安酒」にして、詩を愛好するもの同士で、料理ならぬ詩文の味を楽しむのである。この日、杜甫の草堂を訪れた崔県令がどういう人物であるかは知れないが、詩にあふれる明るいトーンからして、杜甫にとっては詩を介した旧知の親友であることは疑いない。

 四川省成都は、海岸から遥か離れた内陸部にある。そのため、始めは「詩中に出てくる群鷗は海のカモメではなく、別の種類の鳥であろう」と思って本稿を書いていたが、そうではなく、やはり文学としては「海のカモメ」であるらしい。

 漢詩に詳しい、中国人スタッフに教えてもらった。漢語に「鷗鳥忘機」「鷗鷺忘機」という成語がある。『列子』黄帝編に典拠があり「海辺の漁師の身近には、いつも多くの鷗(かもめ)がいる。ある日、その鴎を捕まえるつもりで海に行くと、鷗は全く近寄ってこなかった。鳥獣にも、人間の心理の変化が分かるのだ」という。

 杜甫にとって、親しい客の至る喜びを詩的に表現するには、典拠の通り「群れ寄る海のカモメ」でなければならなかった。この場合、四川省成都まで、海岸のカモメが本当に飛んでこなくても良いのである。

 なるほど漢詩の意味は、想像を超えて奥深い。

(聡)

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