≪医山夜話≫ (29)

反省

デニスは全身の関節と筋肉が痛くて、両手を使ってもコップさえ持ち上げられない状態でした。眉をひそめている彼女はすでに老人のように見えますが、実際はまだ45歳でした。

 の痛みは通常、職業と関係があるので、私は彼女の仕事を尋ねました。彼女は頭を振って、「腕の痛みは仕事と関係ありません」と言いました。彼女の表情を見ると、「苦しみに浸す」という中国の昔の言葉を思い出しました。茫然としている彼女の涙目を見ると、誰もが悲しくなり、同情を禁じえません。

 彼女のカルテを開けると、「鍼は怖い。できればしたくない」という彼女の字とその下に引かれた太いアンダーラインが目に映りました。一瞬、二人とも沈黙に陥りました。彼女の痛みはきっと我慢の限界まで来ていたこと、彼女がどれほど鍼を恐れていたのかが、すべてその一行から伝わってきました。

 私は冗談半分に、一本の長さがわずか5センチで、彼女の爪の甲よりやや長い耳に使う鍼を見せて、彼女を安心させました。そして、彼女が反応する前に鍼をつぼに刺し込みました。腕に鍼を刺し、百会にもう一本入れました。

 彼女は口を開きました。「私は本当に痛くて我慢できませんでした。もちろん病院には行ったのですが、彼らは手術を勧めたり、レントゲンを撮ったり、たくさんの薬を処方したりしました。しかし、私の腕はますます痛くなる一方です……」

 「では、何も考えずに筋肉をリラックスして、しばらく寝てください」

 数日が経ち、再び診療所を訪れた彼女は、黒い雲一面に覆われたような前回の表情とは違い、少し晴れ晴れとしていました。腕の痛みは少し軽くなり、食事の時もナイフとフォークを落とさなくなったと教えてくれました。前回と同じように私は彼女の脈と舌を診て、腕に鍼二本を入れ、百会に前回より深く鍼を入れました。私が診療室を出ようとすると、彼女は「他の先生はよく私の症状についてあれこれと聞きますが、どうして先生は何も聞かないのでしょうか」と彼女は聞きました。 

 「あなたの顔がすべてを教えてくれますよ」と私は答えました。

 彼女は言おうとする話を飲み込んで、黙々と壁に掛けている観音菩薩の画像を見つめました。

 その後の治療で彼女の痛みはだいぶ軽減し、病状も徐々に好転していきました。ある日、もう鍼治療をする必要がないと彼女に告げると、彼女は「なぜか分からないのですが、先生の診療所に来てから私は毎日夢を見るのです。その夢は連続していて、まるで映画のようなのです」と言いました。

 「夢の中で、私は昔の修煉者でした。ある日、盛大な法会が行われ、私は高価な袈裟を身にまとっていました。そばで油の鉢を持っている小僧が、不注意にも油を私の袈裟にこぼしました。私は怒りを抑えきれずに彼を厳しく責め、きつい言葉が絶え間なく私の口から流れ出ました。更に、私はその袈裟の値段を実際より何倍も高く誇張しました。一方、こんなに厳粛で神聖な場所で自分の情緒をコントロールできず、こんな小さな事で大げさに怒り、修煉の基本を忘れたことをとても後悔しました。あの小僧は私の罵声を浴びて、慌ててひざまずきました。心の中で私は自分の冷酷さを憎んでいるにも関わらず、得意満面な気持ちが表情にも浮かびました」

 「翌日、私は夢の中で、また講壇に上がって他人の過ちをぺらぺらと非難しました。タマネギをむくのと同じように、論理から根拠まで、私は相手の観点を無情に反論しました。しかし、自分はただ口が達者な偽修煉者であることを、夢の中ではっきりと分かっていました」

 「今になって私はやっと分かりました――私にひざまずいた小僧は現世で、私の息子に生まれ変わりました。彼は二十四歳で、半身不随となったのです。彼を生んでから、私の白髪はどんどん増え、体調はますます悪化し、すべては彼のためでしたが、ずっと彼に尊敬されたり、感謝されたりしたことはありません。幼い時には彼を背負い、大きくなってからは彼の車椅子を押しました。彼の身体は高くて大きいので、車椅子を押す時は私の両手が痛くてしびれます。もう自分の手ではなくなったかのようなのに、息子はまたもあれこれと不満を言います……私の両手は、うっかり油を袈裟にこぼしたあの小僧のように、もう思うがままに動けません……」

 「前世に私はそんなに冷酷な人間でなければ、おそらくこのような境地に陥ることがなかったかもしれません」

 彼女の話を聞いて私は茫然としました。これは夢かもしれないと思いました。これから、私も寛容な心で人と接しなければならないと思いました。
 

(翻訳編集・陳櫻華)