≪医山夜話≫ (46)

人身

私は昼間、診療所で患者を治療した後、家に帰ってから治療の心得を医療カルテに書き込みます。例として挙げたケースの多くは、漢方医が持つ病気治療の効果を読者に伝えるために最も適していました。一方、多くの難病は人間の「業力」と関係しており、遠い前世から積み重ねてきた業力の大きさが病の重さを決めているのです。医者として、その因縁関係を知っていても、はっきりと患者に告げられない場合もあります。

 世の中の道徳は日ごとに低下しており、奇怪な病が増えてきました。患者も、一時しのぎの措置を取る治療法を好む傾向にあります。重病にかかり、命さえ危うい状況なのに、薬が苦い、鍼灸が痛い、病院に通う時間がないなどと訴えてきます。

 古人曰く、「未だ危うい前に命を惜しみ、未病を治す」。どういう意味なのでしょうか。危険な状態になる前に命を大切にし、病気が現れる前に治療すると言っています。他にも、「喉が渇く前に井戸を掘る」ということわざもあります。

 老子は、次のように記しています。「事が発生する前に処理し、災難や変乱が発生する前に解決する。大きな木も小さな若枝から成長して、九重の塔も一つずつ小さなかたまりから造られ始める」

 人間は生活のために忙しく奔走しながら、情と欲のために絶えず体を消耗し、日ごとに痩せこけ、髪は白くなります。病が発生すると、やっと命の危険を感じ、あちらこちらと治療法を探し回ります。このような人生は、何とも悲しいではありませんか。

 老子は素晴らしい論述を残しています。「徳を豊かに持つ人は、無垢な子どもと同じように見える。彼は昆虫の針からも、野獣の爪からも、猛禽の攻撃からもまぬがれる。骨や筋肉は強いとはいえないが、手のにぎりはいつもしっかりしている。泣き叫んでも声がかれることをしないのは、精気を持つからである。精気と和気は命の根本で、賢者はこれを分かっている。生活を過度に楽しむと患いを招く。欲望に駆られて感情に走ることは、柔軟と相反する気丈さである。物事は壮盛の次に衰えていき、これを分からず壮盛を強要すると、『道』から逸れる。『道』に合わなければ死滅に向かう」

 「天長地久」という言葉があります。天地が長く存在できるのは、天地は無私で、己のために生存しないためです。他人のために常に考え、名利、色欲、財産、味を求めずに嫉妬もしなければ、病の生じようがないのではありませんか? だから人間は、天道に従うべきなのです。

 チベット仏教のミラレパ尊者は、「福徳、宿善を持つ人々にとって、人間の体は至宝無上の船である。この宝の船は生死の川を渡って、解脱の対岸まで到着できる。一方、悪事を働いて罪を作った人にとって、この肉体は貪欲の溢れる深淵になる。つまり、人間がどこに行きたいのか、それは自分の船をどこへ向かわせるのかによるものである」

 

(翻訳編集・陳櫻華)