高智晟著『神とともに戦う』(42)弁護士の使命(9)

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いかなる非常識な行為、あるいは憲法に反する行為に対して、中国の「憲法」は全く制約する力を有していない。したがって、現実の日常には違憲の悪例があふれかえっている。

一昨年の初め、私は雑誌『中国公務員』に「果てしなき道~WTOに対応しうる行政・法律の整理~」と題する文章を発表した。その中で私は、中国の行政や立法における驚くべき混乱した現状とその原因について広く触れたが、これを招いた核心的な原因は、やはり憲法の機能欠如にあると指摘した。

一部行政部門は自らの利益を追求するため、次々と自分に権力を委譲する法律を制定した。法律の秩序外にある権利を手にし、相手の権利を奪うためである。憲法に背くこれらの「法律」は、全てを意のままに操れるほどの力を備えており、しかも無制限な広がりを見せている。

行政部門の自身の権利に対する認識は、とどまる所を知らない。国家経済貿易委員会や財政部(訳注、日本の財務省に相当)が、団体資産の財産権を区分する権利を国有財産部門に授けたのはいい例だ。

これは法律の理論や機能の角度からいっても実に馬鹿げているが、現実には全国各地で執行されている。このような方法を通じて、非国有財産を国有財産にし、経済貿易委員会の系統に属さない企業すら、自分たちの企業にしてしまう。このような例は枚挙に暇がないのである。

業界保護の色合いが濃い行政や立法のケースは、もっと多い。最も端的な例は、国家教育委員会が出した「学校内の民事責任の帰属に関する規定」である。弁護士として、我々が最も恐ろしいと思うのは、これらの現象を国が平然として容認していることである。天下の不平を鷹揚に許すほど、我々の国は器が大きく寛容になったわけではあるまい。

「憲法」を傷つけても何ら危険はないということに、人々は薄々気づいている。それどころか度重なる違憲行為によって、「遥かな長江の流れ」のような底なしの利益から私腹を肥やせば、各部門がそれにあやかろうとする。上にある者が国法を曲げれば、下の民の怒りを招く。

しかし、それでも不正を働く者どもの悪知恵は尽きない。かつて「暫定住民証制度」や「タクシー業界の運営制度」などがあったが、いずれも公民の権益を守るなど絵に描いた餅になっている。公民にとって切実な権益の保護を害する最大の敵とは何か。それは、昨今不祥事の絶えない刑事訴訟制度、司法関係者のモラルに反する行為、公安・検察・裁判所の権力の枠組み、および司法への制約の欠如に他ならないのである。

 4、ささやかな望み

ここでのテーマは、実際に弁護士がどう行動すべきかということだ。まずは、自身が行ってきた弁護士としての援助、そして個別の案件で見られた気の毒な被害者を救いたいという思いについて語りたい。これは私の性分であって、別にイデオロギーのためでも、何かを得るためでもない。

弁護士として、私はもう個人の生活に困ることはないが、法律制度の領域に見られる露骨な弊害、および社会の底辺で暮らす人々の数多くの悲惨な境遇に、私は常々不安と焦りを覚えるのだ。もちろんこれは、個人の考え方と関係があるのだろうが。

例えば、一昨年の鉄道の旅客運賃に関する公聴会や社会問題を取り上げた、中央テレビ局の『焦点訪談』という番組、政府による各種のキャンペーン、国の指導者が各法案へ署名する場面、そして「公僕」である模範的公務員への賞賛などの見世物に対して、人々が歓喜することなく冷静になれた時こそ、弁護士が自身の使命を果たすスタートであり、中国の法治を実践する時なのであろう。(本文は2004年末、作者が北京工商大学で行った演説から一部抜粋した)

 (続く)

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