違う法門の修煉(2)

当記事は「違う法門の修煉(1)」の続きです。

 

ボビーは練功と座禅を始めました。どのように練功して、どんなことをするのか、ボビーは師から受けた注意を守り、誰にも教えません。しかし、暫くすると、「座禅する時、もし良くない物や光景を見たら、どう対処したらいいのかしら」と私に聞いてきました。

私は「あなたの師は、どのように説明していたの?」と聞きました。

「私の師は、病気に罹ってしまったわ」と彼女は心配そうに言いました。

私は、「私の師は、何も考えずに、心を動じないようにと教えているわ」と答えました。

暫くして、ボビーの師は亡くなりました。亡くなる前に、彼は「自分はある三十~五十歳くらいの人の体に生まれ変わる」と言い残したそうです。そして、「自分こそ、その師父の生まれ変わりだ」と自称する男性が二~三人出てきました。誰もが生前の師と似たような特徴を備えているので、誰を選ぶかについて弟子たちは戸惑っているというのです。

困惑しているボビーを見て、私は彼女に一冊の『転法輪』を渡しました。彼女は、大切に受け取りました。本を読んだ後、疑問があれば一緒に話し合おうと彼女に言いました。

それから時は飛ぶように過ぎていきました。私は、江沢民グループによる法輪功への弾圧がいっそう激しくなったため、世界各地を飛び回り、ワシントンDCに行って国会議員の署名を集めたり、ジュネーブの国連に行って迫害の真相を伝えたりして、とても忙しくしています。「あなた、医学を捨てて政治家になったりしないよね」と、時々ボビーは私に聞きます。

中国国内にいる法輪功学習者たちが逮捕され、拘禁されて、拷問され、自由ないし命をも奪われたことを彼女に伝えました。この迫害を停止させるために、私は政府、国際組織の助けを求めていますが、修煉者は政治に興味を持たないということを説明しました。彼女は、「あなたたち、本当に偉いわね」と言いました。

私が迫害の停止を呼びかけるために奔走している時、ボビーは寂しさを埋めるために病気のを飼いました。間もなくして、この犬は彼女の大きな負担になりました。この犬はまず糖尿病になり、続いて腎臓衰弱で毎週ごとに腎臓透析をし、毎日インスリンを注射し、頻繁に獣医に通っています。ボビーは犬のためにとても疲れはて、銀行の預金もみるみる減っていきました。動物には医療保険がないからです。

何と言っても犬は動物であり、人間とは違います。命は輪廻しているので、自然に死なせることは悪い事とは限らない、と時々私はボビーに言い聞かせました。「無理に犬の命を延長させることは、生まれ変わりを遅らせることになって、犬はあなたに愚痴るかもしれないわよ」と、私は冗談半分にボビーに言いました。

ある日、犬は亡くなりました。ボビーも数日間、とても悲しそうでした。ここ数年、ボビーの貯金はこの犬の治療のために使い切ってしまい、まるで犬は彼女に前世の借りを返してもらうために来たようでした。

小道の修行は、これら人間以外の生き物についての道理をはっきり説明していません。私から見ればボビーの修行はとても苦しいもので、とても長く修行しても、人間は何のために生きているのか、修行の目的は何かなど、まだ分かっていないようです。彼女は表の形式をしっかり守っていますが、内心では困惑しています。

 

ある日、私の出張中にボビーは突然、心臓病発作のため救急車で病院に運ばれました。

飛行機を降りて、私はボビーのいる病院に飛んでいきましたが、面会することはできませんでした。ボビーの症状が山を乗り越え、少し回復すると、私はやっと彼女に会うことができました。

「私は結局、修行していない人たちと何か違うかしら」とボビーは聞きました。

「もちろん違うわよ」

「じゃあ、どこが違うの? あなたも知っているように、私は救急車で運ばれてきたのよ」

「あなたには自省する心があって、常に自分自身を反省しているでしょう」と私は彼女を慰めました。

「私は肉を食べず、座禅をして、捨てられた動物の面倒を見て、自分の師に対してとても敬虔だけど、なぜ自分はまだ修行の門に入っていないと感じるのかしら」と彼女は聞きました。

「修行とは心そのものを修煉することで、各種の執着を取り除く時こそ、はじめて本当の修煉といえるのよ」と私は彼女に話しながら、自分自身にも言い聞かせました。

「実は、あなたに対してずっと嫉妬していたの。あなたは何をやっても疲れないでしょう。診療所で仕事をしても、座禅を組んでも疲れないし、飛行機であちらこちらに行っていても、時差ぼけもしないし、毎日健康で楽しそうだわ。最初、肉を禁じていないのを見て、あなたの修行はきっと中断するだろうと思っていたけど、結局、この問題をあなたはとても簡単に乗り越えたのよね。私は本当に不思議に思っていたわ……」と彼女は恥ずかしそうに話しました。

「あなたがくれた本は、私はずっと読んでないの。本を開けた瞬間、法輪の中の符号が目に映って、私はびっくりしたから。その時に本を閉じてから、2度と触っていないの。でも、今日帰ったら、まじめに読もうと思っているわ」

「あら、あなたに本を渡した時に説明すればよかった。実はその符号は佛家の卍字符と呼ばれていて、大昔から存在していたものなのよ」と私は言いました。

そして、ボビーは感動的な体験を私に教えてくれました。

「心臓発作がおきて、自分の命が間もなく終わると思った瞬間、輝かしい金色の法輪が空一面に飛んでいるのが見えたの。最初、目が眩んでいるのかと思ったけど、すぐに音楽が聞こえて、目の前に無数の美しい図形が飛んできたわ。その光景は立体的で、彩り豊かで美しくて、言葉では言い表せないものだった……」
 

 (翻訳編集・陳櫻華)