≪医山夜話≫ (16)

人生の不運と幸運

私と長年の付き合いがあるルーシーは、少しでも体の調子が悪いと、私の診療所を訪れて漢方の治療を受けていました。彼女の家族も漢方医を信頼していて、どこか調子が悪いところがあればまず漢方薬の処方と鍼灸にかかるので、私は彼女の生活状況などが徐々に分かってきました。

 レストランを経営しているルーシーは毎日長時間働き、朝から晩まで休む暇もありません。彼女は一生懸命働けば、将来きっと大きな家に住み、古い車を新車に変え、小さいレストランから大きな店舗に移れると固く信じていました。このような強い思いを胸に、彼女は10数年間の苦労を乗り越えてきました。ところが、商売も順調に伸びて店が繁盛し、彼女にとって一番の働きざかりのこの時期に、大きな(わざわい)が降りかかりました。この絶頂期に、彼女の夢は無残にも打ち砕かれました。

 彼女は、末期のすい臓がんを患っていたのです。担当医は手術後、「あなたの人生は残り少ないので、すぐにレストランを閉めた方がいいでしょう」と彼女に告げました。

 ちょうど店舗拡張のためのテナント探しと資金調達の話が進んでいる最中だったので、不動産業者や金融業者は、店を休業するという話しに大いに戸惑いました。

 悲しみに暮れた彼女は、私の診療所を訪れました。また、ルーシーは自分の手術を終えた後、夫の浮気を知りました。まさしく泣き面に蜂でした。

「先生、私は今、広い海のど真ん中に漂う小舟のように孤立無援だと感じています。すぐにでも自分の命を断ちたい衝動に駆られますが、燃え尽きる寸前のろうそくに息を吹きかける必要がないように、短い命を何事もなく終えようと思っています・・・」

 「病院側に化学療法を薦められていますが、これは私を苦しめるだけの方法にすぎません。残った人生を少しでも心地良く過ごしたいと思います。私はどうしたらいいのでしょうか?」この話を聞いて、私は一瞬言葉を失いました。

 かつて楽しく笑っていた彼女の顔は、わずか数日後にこんなに悲痛な面持ちで苦しんでいるのです。

「ルーシー、あなたは自分がもうすぐ死んでしまうと思っているのですか?」と私は聞きました。

 「いいえ」

「病と闘うという努力をあきらめていますか?」

「いいえ」

私は、独り言をいうようにつぶやきました。「春の山に咲いている満開の花たちは、すべて厳しい冬に耐えてきたのです。渓谷をとうとうと流れる川たちは、雪解け水が少しずつ集まって出来たものです。今のあなたは生死に関わる重病を患い、厳しい試練のなかに置かれています。しかしこんな時こそ、あなたにとって自分の本当の勇気を見せる良い機会なのではありませんか? 人生最大の成功とは、レストランをいかに大きくするかではなく、自分自身に打ち勝ち、困難と闘う中で人生の本当の意義を悟ることにあるのではないでしょうか」

 彼女はじっくりと私の話を聞きながら、「先生、私たちの命は、一体誰がコントロールし、生かされる期間を定めているのでしょうか?」と言いました。その時、ルーシーの顔が少し明るくなり、希望が見えたかのように見えました。

「そうですね、誰でしょうね。それはあなた自身なのですよ。あなたは何回も何回も輪廻しているのです。今のあなたの状態とは、あなた自身の持つ業力の因果応報なのです。あなたの・・・本当にあなた次第なのですよ」と言った後、辛くて何も言えなくなりました。

 しばらく沈黙した後でルーシーは、「また、すべてをやり直すことができますか? まだ間に合いますか? もしかするとこの病気は禍ではなくて、だったのではありせんか? もしかすると私の命は、今、ここから始まるのではありませんか?」と言ったときの彼女の顔は、一瞬明るく輝きました。

 彼女のうしろ姿を見て、「禍(わざわい)を転じて福となし、福は転じて禍(わざわい)となす」という諺を私は思い出しました。

 世の中には絶対的な禍と福は存在しておらず、すべての物事は相対するものなのです。すべてはあなたの理解と行動次第により変わるものなのです。しかし、人は往々にして目の前の差し迫った物事しか見えないのかも知れません。

(翻訳編集・陳櫻華)

※≪医山夜話≫ (16)より