≪医山夜話≫ (3)

医者としてのモラル

職業道徳を尊重し、忠実に職務をこなし、誠心誠意、患者を診療することが医者のモラルである。患者の安否は医者にかかっているため、いいかげんな診療をしてはならない。きめ細やかな診察をして、病因を見つけることが重要である。

 心理的な要因に関わる病気の診療は、より一層難しい。患者の心理状態に細かく配慮して問診しなければ患者は心を開かず、本当の病因まで辿りつけない。

 医学は「仁術」であり、患者に思いやりを持って、誠心誠意、治療しなければならない。医者は私心と雑念を捨て、患者の貧富、親疎、年齢、容貌、民族、性格などを気にせず、たとえ自分と宿怨があったとしても、真剣に患者を診療すべきである。

 その一例として、元代の名医朱震亨(しゅ・しんこう)がいる。朱震亨は進んで貧しい患者の家を往診し、特に困窮して医者を呼べない患者を気遣った。

 一方、朱震亨は、威張る金持ちに対して迎合したりはしなかった。ある時、権勢のある高官が彼を呼び、傲慢な態度で彼に病気の治療を依頼した。彼は脈を診ると、何も言わずにその家から出て行った。使いが追いかけてきて理由を聞くと、彼は「余命3ヶ月しかないのに、まだこんなに傲慢なのか」と言い残して去ったという。

 治療は時間も大切な要素であり、一刻も早く行なうべきである。患者の往診依頼が来ると、医者は可能な限り早く向かわなければならない。唐代の名医・孫思邈(そん・しばく)は患者に呼ばれると、「困難や危険を恐れず、昼夜寒暖を問わず、飢餓と疲労を忘れ、一心に患者を救う」と書き残している。

 従って、名医たちが医術を伝授する時は、徳の高い人を選んで弟子にする。たとえ名医の子孫であっても、先代の医学を受け継げるとは限らなかった。明代の有名な小児科の医学者・万全(まんぜん)には10人の息子がいたが、父業を受け継いだ者は一人もいなかった。

 また、清代の名医・葉天士(ようてんし)は亡くなる前、息子に対し、「医学を職業にして良いかどうかは、その人の素質によって決められる。素質が良くて、しかも一生懸命に勉強する人だけが医学に従事できる。さもないと、医薬は殺人の凶器となり、無能な医者は患者を殺すことを避けることができない。私が死んでから、子孫は軽々しく医学に従事すべきではない」(『清史稿・葉桂伝』)と戒めた。この話は、たいへん深い意味を持っている。
 

(翻訳編集・陳櫻華)