第2話:理想的な教育環境とは【子どもが人格者に育つ教え「三字経」】

三字経』は中国で最も有名な儒教の古典の一つであり、宋の時代の偉大な儒教家である王応麟氏が最初に書いたもので、当時は私塾(現在の小学校に相当)の教科書として用いられていました。『三字経』には、儒教の根本から文学、歴史、哲学、天文地理などの内容が凝縮されており、まさに中国伝統文化の縮図のようなものです。そのため、古代の人々は「経」書として崇めていました。「経」とは不変の道理を意味しており、古代の人々はそれを誰もが見習うべき典範と考えていたのです。

一句三文字と読みやすく、簡潔な詞で書かれている『三字経』は非常に趣があり、それを学ぶことは中国の伝統的な学問の扉を開くことに等しく、人を正しい方向に導き、大志を抱かせることができます。

原文

孟母、擇鄰處、子不學、斷機杼。

竇燕山、有義方、教五子、名俱揚。

訳文

昔孟母 昔(むかし)孟母(もうぼ)
擇隣處 隣(となり)を択(えら)びて処(お)り
子不學 子(こ)学(まな)ばざれば
斷機杼 機杼(きちょ)を断(た)つ
竇燕山 竇燕山(とうえんざん)
有義方 義方(ぎほう)有(あ)り
教五子 五子(ごし)を教(おし)え
名倶揚 名(な)倶(とも)に揚(あ)ぐ

解釈

遥か昔、孟子の母親は、息子に学問を志すようになってもらいたいと、周辺環境を整えるために、苦労を厭わず三回も引越しをしました。ある時、孟子が学校を怠けて家に帰ると、母親が怒って織っていた織物を半分断ち切ってしまったのです。そして彼に対して「学業というのは織物と同じで、糸を一本一本丁寧に織っていき、それが積み重なってようやく完全なる布として使えるようになる。途中で断ち切ってしまうと、これまでの努力がすべて無駄になってしまうのだ」ときつく戒めたのでした。

五代の頃、竇禹鈞という人がいて(またの名を竇燕山という)、子供の教育に熱心で、良き父親でした。彼は聖賢の教誨を手本にして子供たちを育て、その結果、5人の息子たちはそれぞれ大成功を収め、その評判は世界中に広まったのです。

筆者所感

儒学の「儒」の字は、「人」と(必要を意味する)「需」の二字から成っています。その内涵は深いもので、人間として必要な根本的な道理や世のために用いるべき才能を意味しています。古く孔子の時代よりすでに、私たち人間が家庭から社会に至るまで、人生において守るべき基準や道徳的な行動規範が示されてきました。

つまり個人の修養は、将来社会で生きていく上での基礎となるものです。だからこそ儒教では非常に仁義を重んじ、身内はもちろんのこと、年長者や友人、上司、部下など如何なる人に対しても誠実に接することを大切にしています。儒教の経書の中に「修身斉家治国平天下」(天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである)という一節がありますが、正にこれを表しています。つまり、家庭や社会での人間関係において、または遭遇した出来事を解決するにあたって、その内容や大きさ、地位、関係性、礼儀作法は違っていても、「人によくする」という根本的な目的は一致しているのです。

前話では、『三字経』が展開される上での軸となる序章を紐解いてきました。王応麟氏は膨大で目まぐるしい儒教古典の迷霧を晴らし、儒教教育の根本的な目的と核心は人間の生来の善良さを守ることであると端的に表現しました。そして、内容がどれほど広博になろうと、その根本的な部分は変わらず、善良な人間性への導きであるべきとし、『三字経』の軸を定めたのです。

第2話では、これまでに話してきた内容を踏まえた家庭教育の具体例として、現代の日本の教育界でもよく知られ、また大きな影響を与えている孟母三遷の教えをご紹介します。日本人の多くは、子供に良い環境を与えようと、孟母に倣い、教育環境の良い場所を選んで家を購入します。例えば東京都において、若い親世代は、東大などの有名な教育機関がある文京区などに居を構える方が多いです。

孟子一家はかつて周りに屠殺場や市場、墓地がある所に住んでいました。孟子は子供の頃、見聞きしたことを何でも真似してしまう子で、よく近所の友達と豚を殺す真似事をしたり、商店ごっこをしたり、その他にも葬儀の儀式の真似事をして遊んでいたそうです。それに気付いた母親は、環境を変えようと引越しを決意しました。何カ所かを転々とし、三度目の引越しで学校の近くに移り住み、それから孟子は学生の真似をして勉学に勤しむようになりました。孟母はその様子を見て、そこでの定住を決めたのでした。

この物語は、環境が子供に与える影響の大きさを表しています。後天的な出来事によって、子供が本来持ち合わせている善良な部分が変わってしまう可能性があるのです。そのため、子供の教育には、子供が本来持っている性質を汚さないようにすることはもちろん、一貫性を持たせることが非常に重要です。孟母は三回の引越しをして、子供への教育を中途半端にせず、ひたむきに頑張る姿勢を見せたのです。

ここで述べている教育というのは、現代一般的に用いられている知識を植え付ける「教育」ではなく、儒学の道徳教育を指します。古代の学校で行われていた学習指導も、根本的な目的はこれに通ずるものであり、同時に将来その美徳を生かして、世のため人のためとなるよう教えていたのです。現在、日本における国語教育も多くがこの伝統を受け継いでいます。

今回の故事寓話では、竇燕山と出世した5人の子どもの物語を紹介します。この物語も同様に、子供を善の方向に導いてこそ、自分で名乗りを上げて何かを成し遂げることができるということを示しています。

故事寓話「竇燕山と出世した5人の子ども」
 

(でじたるらぶ / PIXTA)

五代後晋の時代に竇禹鈞という人がいて、薊州に住んでいました。その地はちょうど古代の燕国一帯であったことから、人々からは竇燕山と呼ばれていました。とても裕福な家庭で育ちましたが、元より意地悪な性格で、よく自分より貧しい人をいじめており、その悪行のせいで、30歳になっても子供がいませんでした。ある日、彼は夢の中で亡くなった父親からこのように言われました。

「これまでお前は、心が歪んでいて、正しくない行いをたくさんしてきた。このまま悪さを続ければ、子供を持てないだけでなく、短い人生を送ることになるだろう。今後は行いを改め、もっと善良な行いをして、たくさんの人を助ければ、まだ挽回の余地はあるかもしれない」

目を覚ました竇禹鈞は、夢の中で父親が言った言葉を深く心に刻み込み、二度と悪いことをしないと誓ったのでした。

その後、彼は二度と悪さをしなくなっただけでなく、多くの貧しい人々を助け、さらには自分の家に教育所を設け、有名な先生を雇って子供たちを教え、家庭が貧しくて勉強をする機会がない子供たちが学校に行けるようにしました。ある日、彼は宿屋の前で銀貨が入った袋を拾いました。やがて彼はその場所で一日中待ち続け、持ち主が袋を探しに戻ってくると、そのままの状態で返したのでした。

月日が経ったある夜、彼は再び父親の夢を見ました。父親は今度は彼に対して「お前はたくさんの徳を積んだから、神様が5人の子供を与えてくださった。それから、お前も長生きするだろう」と言いました。彼はただの夢であることを知っていたものの、それから一層真剣に自らを修め、より多くの善行を行いました。その後、彼と妻の間には本当に5人の子供が生まれました。

竇禹鈞は子供たちへの教育を非常に重視し、世の道理や社会で生きていく上であるべき態度などを厳しく教えました。彼の指導の下に育った5人の子供たちは、そろって科挙に合格し、竇禹鈞と5人の息子の評判は地元のみならず、全国に広まっていきました。

この物語は、前話で紹介した周處の話と類似しています。竇禹鈞も周處も最初は悪さばかりしていましたが、後に目が醒めそれを改善し、成功を収めました。今回はそれに加え、善と悪には報いがあるという道理についても語られています。人間の一言一行は、すべて天によって裁かれるのです。つまり、人々に善行を促し、徳を重視する儒教の教えが、中国で数千年にわたって伝えられてきたのは偶然ではなく、その背後に隠された摂理があることを示しています。その目的は、中国の人々が善良さを保ち、祝福を得られるようにすることです。

竇燕山が徳と善行を尊ぶようになったのは、正に頭上三尺に神がいると感じたからであり、改心し道徳を重んじるようになった結果祝福を受けたのです。そして、なぜ子供たちに聖賢の教えを学ばせる必要があったのか、またその重要性を理解しました。つまり、儒教の教えに従う根本的な理由を理解したのです。

孟子の母にしても、竇燕山にしても、中国における子供たちに善を教えることで大きな成功を収めた例であり、前話での教訓の正当性を裏付けています。

つづく

——正見網『三字経』教材より改編

文・劉如/翻訳編集・牧村光莉