第6話:身近な人に対して孝悌であること【子どもが人格者に育つ教え「三字経」】

原文

首孝弟、次見聞、知某數、識某文。

一而十、十而百、百而千、千而萬。
 

訳文

首孝弟 孝弟(こうてい)を首(はじめ)とし
次見聞 次(つぎ)に見聞(けんぶん)
知某數 某(それぞれ)の数(すう)を知(し)り
識某文 某(それぞれ)の文(ぶん)を識(し)る
一而十 一(いち)よりして十(じゅう)
十而百 十(じゅう)よりして百(ひゃく)
百而千 百(ひゃく)よりして千(せん)
千而萬 千(せん)よりして万(まん)
 

解釈

人にとって最も重要なことは、まず両親を敬い、兄弟を愛することの道理を理解し、その方法を学ぶことです。次に、日常生活における知識を身につけることも必要不可欠です。ここでの知識とは、数字の変化を理解する力、計算する力、文字や言葉を理解する力、文章を読む力を言います。

我が国における数字の計算は、十進法を採用しています。一が数字の始まりであり、一から十は数字の基本となる部分です。その後は十進法の規則に従って、十個の十が百、十個の百が千、十個の千が万というように、無限に積み重なっていきます。
 

筆者所感

今話で紹介する始めの二句「首孝弟、次見聞」は、前文(第5話参照)に対する総括と強調であり、両親への孝行兄弟愛の重要性を明確に指摘しています。前話では、「孝悌」であることの大切さを繰り返し伝えてきました。特に兄姉などに対する敬愛の意味合いが強い「悌」に関して、4歳の孔融が大きい方の梨を兄に譲った物語を以って、弟の兄に対する恭敬の心を表現しました。「弟」と「心」の二つの字が合わさって、「悌」という字になります。つまり、「弟於長、宜先知」、弟や妹である者にとって、年長者を敬うことは、幼い頃から知っておくべき道理であり、前話を通して最も伝えたかった部分でもあります。

古代の人々も同じように考えていたので、両親がいなくなったら、兄が父としての責任を担い、弟の面倒を見るものだとされていました。前話で紹介した「兄は父のように」とは正にこれの体現です。弟の兄に対する態度だけが強調されているように感じるかもしれませんが、実際には、当然ながら相互の尊敬と愛を表しています。年が上の者として、弟妹の面倒を見ることは自然なことであり、普段から当たり前に彼らを守っているものです。だからこそ、上から下への愛に関しては、敢えて強調しなかったのです。

自分を大切にしてくれる人に対して感謝の気持ちを持つことは、世の中で生きていくための最も基本的で最低限の条件です。まずは恩のある人への感謝の気持ちを大切にし、その上でその心を更に広範囲に向けられると良いでしょう。世間や社会、さらには自分にとって恩義がない人、あるいは全く関わりのなかった人や自分よりも立場の低い見知らぬ人にまで感謝の心を持つことができれば、博愛に満ちた君子になることができます。役人であれば、民衆を愛し、大切にすることができるでしょう。皇帝が君主と呼ばれるのはこのためです。そしてこれは世の全ての人々に対する模範となるものです。

君主なる者は、基本的な孝悌の意識を持った上で、自分のプライドを捨て、謙虚で礼儀正しい態度をとり、私情を捨てた、より高度な修養や美徳が必要です。しかしこれらはすべて親孝行や兄姉への敬愛の上に成り立つものです。中国に古くから伝わる「百善孝為先(親孝⾏することが⼀番の善である)」という⾔葉にあるように、「孝」であることは人にとって最も基本となる部分なのです。

よって、今話を通して伝えたいのは、人にとって最も大切なことは、身近な人に対して孝悌であることであり、それは感謝の気持ちを体現することであり、人間としての基本です。基本を知った上で、様々な事を学び、知識や知見を理解し身につけることができるのであって、そうでなければ、才能があっても徳がなければ、簡単に世の中の害悪となってしまいます。現代の社会では忘れられていることも多いですが、道徳を重んじることは、何にも変え難い非常に大切なことなのです。
 

故事寓話「の親孝行」

(miko / PIXTA)

中国古代神話の中に舜(しゅん)という人がいて、非常に親孝行でした。舜の父親は目が不自由で、母は彼が幼い時に亡くなりました。父親は舜の継母となる新しい妻を娶ったのですが、この継母が非常に性格が悪く、舜を愛していないだけでなく、わざと彼を困らせたりしていました。

ほどなくして舜に弟が生まれ、象(しょう)と名付けられました。父親と継母は象を非常に可愛がり、溺愛していました。舜は普段から両親に従順で、弟のことも可愛がっていましたが、継母と弟は舜を疎ましく思っていました。その上、父親は継母と弟の言い分しか聞かず、事の真実を知らないまま、よく舜を叱ったり叩いたりしていました。

父の健康状態が良くなかったことと、弟が幼かったことから、舜はまだ小さいうちから歴山の麓で畑を耕し家族を養っていました。言い伝えによると、舜の孝行を尽くす姿は天をも感動させ、象が畑を耕すのを手伝ったり、鳥が飛んできて草を刈るのを手伝ってくれたと言います。しかし、そうであっても父親や継母、弟は彼のことを嫌っており、機会を見つけては舜を陥れようとしました。危うく命を落としかけたことが三回もあったそうです。

自身の置かれた状況をよく知っていた舜は、常に慎重に行動をし、彼らからの度重なる罠を巧みに避けてきました。彼は自分の身に起きたことを恨んだりすることなく、自分に対する不公平な扱いを黙って受け入れていました。逆に両親を幸せにしようと、一生懸命孝行しました。舜のこの徳行は誰もが真似できることではなく、実に殊勝であったため、彼が20歳になる頃には、その孝行ぶりは広く知れ渡っていました。

その後、堯(ぎょう)帝が王位継承者を探していた時、多くの人が舜を推薦しました。堯帝はその推薦を受け入れはしたものの、民衆のために、自分の目で確かめるべきだと考え、自身の二人の娘——娥皇と女英を舜に嫁がせ、また、九人の息子を舜に紹介し、舜が妻や兄弟たちにどう接するかを観察することにしました。要するに「悌」に対する審査です。

これに加えて、堯帝は舜に孝行することの大切さを民衆に教えるよう命じました。民衆は皆従順で、逆らうことはなかったそうです。また、舜は物事の処理にも長けていて、国事において、役人は誰もが舜の命令によく従ったと言います。堯帝に拝謁しに来た諸侯を迎えた際には、皆舜に敬意を払い、従順でした。さらには、山林の守護を命じられた舜は、たとえ嵐に遭っても、道を見失うことはなかったそうです。

最終的に、堯帝は舜を大いなる徳と並外れた知恵を持つ者とみなし、彼に王位を譲ることに決めました。

舜の孝行においての姿勢は、受けた仇に対して、恩を以って報いるという、大いなる美徳を体現したものでした。自分を愛してくれる両親に孝行するのは決して難しいことではありません。しかし、両親から煙たがられ、虐待され、ひいては命を危険に晒された相手に対して、ましてや自分と血縁関係のない継母に対してまでも、大きな孝行を返せるというのは、正に人々への模範となり、後世に孝行を以って国を治める伝統を残していると言えます。

物語全体を通して、儒学の教えである、人としての基本的な道理、家族を大切にすること、そして孝行を以って国を治めるという道理を伝えてきました。これらはすべて上古帝王の啓蒙と教えから来ており、儒学が独自に伝えているものではありません。また、年上に対してどのように敬い、年下に対してどのように接するべきかが非常に明確に示されており、不公平や不当な扱いに対しては徳を以って報い、弟に対しては責任を持って世話をするというのが分かりやすく表されています。最も強調されているのは、この上なく寛大な無私の心と、責任感です。決して、あなたが私に良くしてくれたら、私もあなたに良くするという狭小な個人的な感情ではありません。

主に父母や兄姉といった年長者への敬意と感謝に焦点を当ててきた前話と異なり、今話では年長者としてのあり方や典範について話しました。子供たちにとっては、どちらも知っておくべき道理であり、身につけるべき姿勢です。

つづく

——正見網『三字経』教材より改編

文・劉如/翻訳編集・牧村光莉