大紀元時報

「罪深き男」の悔恨と再起

2021年9月8日 06時00分
nikonersb / PIXTA
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陳忠(仮名)という名の、私の知人のお話をさせていただきます。
陳忠は、私にとってはまさに知人であり、「友人」といえるほどの関係ではないと思います。なぜならば、私の友人には、彼のような荒れた生活をする人間はいないからです。そのうえ私は、陳忠とは長らく会っていません。

しかし、陳忠がこれからどのように変わっていくか、あるいは今どのように変わったか、それを見届けなければならない義務が、私にはあると思っています。

それは1995年、もう20数年前のことです。当時33歳だった陳忠は、私に向かって「俺はもう、こんな生き方は止めたい」と言って、悲痛な胸の内を語り始めました。

私は、まずは彼に全てを吐き出させたほうが良いと思いましたので、その日の自分の所用をキャンセルして、彼の言葉を黙って聞くことにしました。
陳忠の話は、以下のような内容でした。

1
始まりは、30年近く前の90年代初めのこと。陳忠は、中国の新しいリゾート地として注目されていた海南島(それは陳忠の出身地でもあります)での事業を、順調に成功させていました。彼は(中国における)80年代の改革開放に続く90年代のバブル景気のなかで、それなりに事業に成功して金銭を得た、典型的な若手実業家だったのです。

事業を成功させるのは結構なことです。ただ、どこにでもいる典型的な金持ち連中と同じく、その不健康で不道徳な生活ぶりは、陳忠も例外ではありませんでした。

毎日、煙草を3箱吸い、ビールを10本飲み、同類の連中とつきあってギャンブルに浸りました。夜の繁華街で、陳忠は酒色三昧の生活を送っていたのです。

彼には、数年前に結婚した妻がいました。美しく気立ての良い妻と、はじめは仲良く、幸せな生活を送っていましたが、事業に成功して大金を手にするようになってからは、さまざまな「悪い癖」を身に着けてしまいました。

2
1992年の初め頃から、陳忠は、妻に隠れて愛人をもつようになりました。相手は、内陸部の農村から海南島へ出稼ぎに来ていた若い娘です。借りたマンションの一室に愛人を住まわせて、妻がいる身の陳忠は、半同棲のように入り浸りました。

陳忠の家庭は、ほどなくして崩壊しました。その崩壊した家庭の、形ばかりの夫婦に子供が生まれました。

出産後1カ月たっても、陳忠は妻に優しい言葉一つかけることはありませんでした。親戚や周囲から叱責されても、陳忠は悔い改めることなく、こそこそと愛人のもとへ通っていたのです。
陳忠のほうから妻へ離婚の意思を告げましたが、妻はその申し出を拒否したため、離婚成立には至りませんでした。

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私から見ても、陳忠の不貞ぶりにはあきれてしまいます。

ただ、中国共産党の幹部から民間の事業家に至るまで、「金と権力があれば、複数の愛人をもつことを競い合う」が常態化している現代の中国において、珍しいことではなかったのです。

陳忠の罪は、さらに救い難いものとなります。ついには、何の落ち度もない妻に暴力をふるい、その妻と子供を追いやって、妻の郷里へ帰してしまいました。
以来、陳忠は公然と愛人と同居するようになり、94年の6月には、二人の間に男の子が生まれます。

しかし、心は、確実に虚しくなりました。

自業自得とはいえ、ここに至って陳忠は、自分の犯した罪の深さを思わざるを得なくなったのです。
「妻子を捨てて愛人に走ることが、悪いことだとは分かっている。だけど、共産党のお偉方だって、皆やっているじゃないか」。
そう言って、ごまかしながら今日まで来てしまった自分。その恥ずべき自分に対し、深い悔恨とともに、陳忠はようやく向き合い始めていました。

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陳忠のほうは私を、自分の懺悔話を聞いてくれる唯一の「親友」だと思って来たらしく、以上のことを、よどみなく、自分のみにくい臓腑を吐き出すようにしゃべりました。

「だけど俺、もうこんな生き方は止めたいんだ」。

私の前で首をうなだれる彼の口から出た次の言葉は、これでした。まだ30代の初めだった陳忠ですが、酒と煙草と不道徳な夜遊びで、自分の体と精神状態がボロボロであることも告白しました。

陳忠が、そう私に語ったのは95年の3月でした。私は、彼の後悔と自責の念が本物であると見て、2冊の書籍を紹介しました。

その2冊の書名は『中国法輪功』『轉法輪』です。

陳忠は、私が紹介したその2冊を「引き寄せられるように読んだ」といいます。そして、豁然として自己の過ち、自己の醜さ、自己の汚さ、自己の悪さ、自己の思い違いを、心の底から思い知ったと、後日私に語りました。

「今さら許されることではないし、妻が戻ってくるとも思えないが、とにかく妻に謝ろう」。
何よりもまず、そう考えた陳忠は、子供をつれて実家へ帰っていた妻を訪ね、心から謝罪しました。

妻は、子供とともに陳忠のもとへ帰りましたが、本当に夫である陳忠が悔い改めたかどうか、その行動を約3カ月観察していました。夫の改心は、どうやら本物であると分かりました。

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妻が戻ってくる前に、愛人であった農村出身の娘にも、陳忠は謝罪し、自分が今までと同じようにはできないことを話しました。

「私は法輪大法修煉者になったから、今までの人生の全てを悔い改めて、やり直したい。どうか許して欲しい」。

その愛人、いや、陳忠と何かの縁があってひと時を一緒に過ごし、子供までもうけた農村出身の女性は、はじめは陳忠の話が理解できず、不服でしたが、しばらくしてから子供を連れて郷里へ帰りました。

陳忠が、その女性にどれほどの補償金を渡したか、私は知りたいとも思わないので、聞いていません。

ただ後日、その女性から陳忠に電話があったらしく、それによると、女性が郷里で見つけた新しいパートナーは、彼女の子供もふくめて大切にしてくれている、ということでした。

過ちを償うには、本当に長い時間がかかります。陳忠の場合も、それは同様です。

陳忠は、私が紹介した法輪大法(ファルンダーファー)の書籍を読み、それを人生の転機として自己の罪を悔い改め、法輪大法の教えである「真・善・忍」に従って新しい人生を歩み始めました。しかし、それだけで「大団円」というわけにはいきません。

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私自身が法輪大法を学ぶ身であるから言えることなのですが、修煉というものは、たゆまず続けられる厳粛な努力であり、円満成就に至るまで終わらない業(ごう)の返済と自身の向上の道なのです。

いま修煉の門に入ったばかりの陳忠は、現世で自分が積んだ悪業と、前世で先祖が犯してしまった罪の業という「二重の業」を、これからの人生で懸命に返済しなければなりません。
それは本当に大変なことなのです。

道徳が失われ、社会が極限まで荒廃した今の中国で、かろうじて正気を保っている人は、もはや稀有な存在となりました。


本来は人間として当然である道徳を堅持している人は、まさに中国共産党に迫害される側にいるのですが、往々にしてそういう人は、周囲から嘲笑されたり、奇異の目で見られたりします。

陳忠が、その不道徳な行為によって家族や周囲の人を傷つけた罪は、まことに重いものです。しかし、彼は生きているうちに法輪大法に出会い、その教えにしたがって、いま自分の人生を再生させようとしています。

暗黒の海底へ沈む巨船から、間一髪で救われたとするならば、陳忠は、自身の幸運を喜ぶべきだと言えるでしょう。

ただし、彼の決心が本物だったかどうか。私は、それを確かめるため、久しぶりに陳忠に連絡をとり、会ってみようかと思っています。

(翻訳編集・鳥飼聡)

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