温故知新の養生の道(2) 心を動じさせない 心が動じると体が疲れる

心を動じさせない 心が動じると体が疲れる

『古今医統大全‧巻八十六』には、年老いても元気だった唐伸俊のことが書かれています。彼は少年時代に『千字文』を学習して最も得られたものは、「心動神疲」、つまり心が動じると体が疲れる、という意味の四文字でした。

それから彼は日常生活の中でこの「心動神疲」を心に留め、自らを修めていき、生涯、様々な出来事において、心を動じさせず、年を老いても若さを保ち、いつも元気であり、85歳になっても心身ともに若さが保たれていました。

その他にも、賢人、郭康伯が神人(悟った人)と会った話が残っています。

その神人は彼に健康保持の重点は「心が動じないこと」にあると教えました。

彼の四節の名句は

「体に病気を心で分かり 体の病気を心で治す 心が落ち着けば、身も落ち着き 心に問題が生じると、体に病気が生じる」

というもので、

郭康伯はまるで宝物を見つけたかのように、この四節の名句の趣旨に従い、日常生活の中でこれを実現しました。人生に何があっても「心は動じない」、「得られることや失うことで心は動じない」ことを守り通したのです。その結果、彼は百年以上も健康で強く生きることができたとされています。

「四つの『休』」、「四つの『印』」をやり遂げれば、老少貧富を問わず生涯にその恩恵を受ける

宋の時代に孫君防(字・景初)という名医がいました。学者官僚のために薬を調剤しても、代わりにお礼をもらわない、自らを「四休居士(『四つの休』を保持する居士(こじ)」と称しました。黄山谷(黄庭堅)は彼に「四つの休」とは何かを尋ねました。孫君防はこのよう答えたのです。

粗末な茶と簡単な食事でお腹いっぱいになれば、それで満足(止める)

古い服でも体を寒さから守れれば、それで満足(止める)

平凡な人生でも、生活できれば、それでよい(止める)

貪欲と嫉妬をせずに人生を終えれば、それでよい(止める)

「四つの休」とは欲望を抑えて、ほどほどに止(とど)めるという意味であり、日常生活の中の養生の「道」(みち)であり、その理屈は「何も求めない(無求)」に尽きるというものです。したがって、「四つの休」とはつまり、欲求を抑え、美味な食べ物を追求せず、お腹いっぱい食べれるなら粗末な食でも嫌わないこと、体が温まれば古いぼろぼろの服でも構わないこと、平凡な人生であっても生活ができて、生きていればそれでよい、貪欲と嫉妬をしないで、自分に与えられたものに満足すればそれでよいということです。一言で言えば、利益の前で争いをしないという意味が含まれているのです。

黄山谷はこれを知ってから、「これこそ安楽の法である」、「欲求の少ない人は裏切り者にならず、満足を知るものは極楽の持ち主」と呟きました。なぜなら、貪欲の少ない者は金銭・権力で買収されず、満足を知る者は何かが足りないという考えはなく、いつでもどこでも満足することができ、その人の人生は極楽に満ちているのです。

 

その後、黄山谷は「四つの印」を提唱し、「四休居士」に贈りました。

すべての戦いに勝つより、むしろ一つの忍ぶ

千の褒め・万の富より、むしろ一つの沈黙

上下を求めず、平凡で居られ

何も隠さず、心は常に正々堂々

 

「四つの印」は欲望を抑え、満足を知る上で、更なる、忍耐の心を磨き、口を修め、誠実な心で人と接する、執着心をなくすというレベルに到達しています。この「四つの休」と「四つの印」はどの年齢層の人にも、どの貧富層の人たちにも全部対応しており、実践できた者は生涯、その恩恵を受けることができるでしょう。

南宋の時代の愛国詩人の辛棄疾は「三平二満(十分とはいえないが、それに満足して平穏に生活すること)」で一句を作りました。「百年間続いた雨でも風が吹けば止む、万事はほどほどにすべき」(『鷓鴣天‧登一丘一壑偶成』より)。つまり、人生百年、どんなトラブルがあっても、たとえ雨と風が遭っても、山と谷に遭っても、満足を知る心で対処すれば、軽く乗り越えることができ、人生の得と損失をあまり考えず、人と争わないでいれば、人生の最高の境界に到達するという意味です。

老後も「戒めれば」得られる

青少年時代と別れ、老年時代に突入しても、人々には養生の道があります。これも最も重要です。

孔子は、「其の老ゆるに及びてや、血気既に衰ふ。之を戒むる得(う)るに在り」と説きました。つまり、「老年になると、血気はもう衰えてくる。そのため、ほかに生きる張合いや楽しみもなくなり、物欲に執着しがちであるから、戒めるべき点は利欲にある」という意味です。

なぜなら、人間というものは馬を手に入れると、車を欲しがり、車を手に入れると、名車を欲しがります。欲しがるものが手に入らない場合、何としても手に入れようとし、逆に得た時は、またこれを失うのを恐れるのです。こうした利得と損失で心が動くことで、夜は安眠できず、心も落ち着かず、安心することができないのです。

以上の様々な養生の道は人々の心の奥深いところを照らしており、「心を修める」方法でもあります。古人の龐居士はこのように説きました。

「北に豪宅があり、南に別荘があっても誇りにするものでもない。立派な息子と娘がいても、間もなく独立して旅立つ。人生百年は一瞬で土に帰り、生まれ変われるときに、誰の家かわかるはずもない」

人間社会における財産・金銭・権力・地位といったものは永遠に続けるものではなく、不安定なものです。また、親子関係、家族親族関係・愛情・感情もその一生の間だけのものです。目に見える利益を追求するよりも、徳を重んじ、心を修め、養生の道を維持していれば、自分自身のためにも、子孫のために永遠のものが得られるのです。

(編集責任者:李梅)