西洋音楽史に大きな足跡を刻む ピアノの歴史 (2)

当時、ピアノの発展に最も影響を与えた音楽家は、プロイセン国王のフリードリヒ2世の有名な宮廷楽師であるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(ヨハン・ゼバスティアン・バッハの次男、以下「CPEバッハ」と称する)でした。

彼はバロックから古典主義へ、チェンバロからビアノへの変遷において、最も重要なドイツの作曲家であるだけでなく、尊敬を受けた演奏家でもありました。

CPEバッハは、ピアノがまだ新しい無名の楽器から、素晴らしい鍵盤楽器へと進化する過程を目の当たりにし、自身でその過程に参与してきたため、彼は18世紀の鍵盤音楽について最も発言力を持っていたのです。

ゴットフリート・ジルバーマンの生涯は鍵盤楽器の製造と結び付いています。フリードリヒ2世はジルバーマンが作成した鍵盤楽器を少なくとも15台、所蔵していました。

ジルバーマンが製造したフォルテピアノをヨハン・ゼバスティアン・バッハが認めたことで、ジルバーマンの名が世間に広がりました。そして、50年後、ピアノの時代がやってきたのです。

1821年、フランス人セバスチャン・エラールはグランドピアノのレペティション機構(ダブルエスケープメント)を改良しました。1825年、ピアノに鋳鉄製のフレームを採用し始め、1839年、革の代わりにフェルトを使った小さいハンマーヘッドが現れました。

当初、ハープシコードとクラヴィコードなどのピアノが普及し、その後、ハープシコードが今日のグランドピアノに進化しました。

ピアノが誕生した頃、彫刻家や画家はピアノの外観に、女性の半身像や、羊飼い、ピクシー(妖精の一種)、ニシキヘビ、イルカなど、多くの絵柄を彫ったり描いたりしました。また蓋の譜面台には金を装飾したり、蓋に美しい絵や伝説を描いたりしていました。

また、ピアノのケースに使われている木材は、上品なブラックローズウッドやウォールナットなどで、精巧な彫刻が施されています。キーは汗をかいても滑らないよう象牙が使用され、ピアノ全体が比類のないほど豪華に装飾されていました。

(作者・曹全恩/翻訳編集・千里)