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原爆ドームの保存に 愛知県男性が広島市に一億円寄附

世界遺産の原爆ドーム広島市中区)の保存のため、ある男性が1億円を広島市に寄付していたというニュースがネットで話題となった。

中国新聞によると、寄付したのは愛知県東浦町の元会社社長、平林輝雄さん(80)で8月3日に市に1億円を振り込んでいたことが27日にわかった。

戦闘が続くウクライナの報道を見て、平林さんの頭に平和を訴える象徴として原爆ドームが思い浮かび、傘寿の節目でもあり寄付したそうだ。

爆心地付近では数少ない被爆建造物として、今もなお「原爆ドーム」はそのすさまじい原爆の惨禍を現代の人々に伝えている。世界遺産に登録されていることもあり、海外から広島を訪れた旅行者も必ずと言っていいほど立ち寄る場所だ。

しかし70年以上経過し、老朽化がすすみ維持費など嵩むことから、広島市においても、一時期「解体論」が議論されていた。

原爆ドームは被爆後、しばらく原形のまま保存されていたが、年月とともに傷みが進行し、小規模な崩落・落下が続いて危険な状態となっていた。

1966年7月、広島市議会が原爆ドームの保存を決議してから、広島市は1967年から2020年まで5度にわたって保存工事をすすめ、約4億3千万円の費用がかかった。そのうち2億8千万円あまりは募金や寄付で賄ってきた。

中国新聞によると、今回の平林さんの寄付を受けた広島市は、「平和への思いを寄付という形で込めてくれたものであり、その思いを受け止めて保存に活用したい」と述べたという。

ツイッターには「とてもありがたいお話ですね。早く世界の争いがなくなりますように」など平和を祈るコメントが寄せられていた。

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