チンギス・カンーーグローバル化を提唱(下)【千古英雄伝】

コメント

グローバル化を提唱

当時の中国、ペルシア、アラビアは文化面においても、技術面においてもモンゴルより発達しています。しかし、交通や文化の制限により、新技術を他の国へ伝播することができません。貿易の規模も比較的小さいものでした。

モンゴル帝国は征服戦争をしながらも、絶えず中原の技術を広めています。そのため、グローバル化のプロトタイプが徐々に形成されていきました。

チンギス・カンは中原の国境を開き、軍隊を世界へと導き、アジアとヨーロッパ間の交通を復興させ、貿易路線をさらに拡大させました。チンギス・カンが発布した「大ヤサ(法令集)」により、モンゴル帝国は民主主義へと転換し、官職は世襲でありながらも、法令の制約のもとで、帝国の民主主義体制は古代アテナイの最盛期(紀元前495年-紀元429年)をも超えたと言われています。

基本的人権の保障、信仰の自由、言論の自由は現代社会のシンボルです。信仰の自由において、チンギス・カンは各宗教に対して寛大で平等な態度を取り、それぞれの宗派の伝道師や祭司は状況に応じて税金や徭役(ようえき)の免除などといった優遇も受けられました。

チンギス・カンとその後の後継者たちは、モンゴルを統一し、中国を統一し、ヨーロッパ大陸にまで大きな影響を及ぼしました。

グローバル化を唱えている今日の社会から800年以上前のモンゴル帝国を振り返ってみてみると、我々の考え方は実証主義に影響されて、いかに昔の人々の智慧を軽視していたかに気づかされます。あの黄金の時代を、チンギス・カンが享受すべき栄誉と歴史的地位を、多くの人ははっきりと認識できていなかったのかもしれません。

(完)
(翻訳編集 天野秀)