なぜ秦の始皇帝が初めて「皇帝」を称したのか【千古英雄伝】

「皇帝」という尊称が現れる前、帝王は「皇」「帝」「王」と称していました。例えば、「三皇」「五帝」周文王などがあります。
2024/03/12 心語

チンギス・カン――「プレスター・ジョン」の伝説【千古英雄伝】

中世のヨーロッパにこのような伝説が流れています。遥か遠い東方の地にある英雄が現れ、その名は「プレスター・ジョン」という。彼はイスラム教国に勝利を収め、その首都を占領しました。

チンギス・カン――軍需品にシルクの肌着 その理由は?(上)【千古英雄伝】

「武力をもって天下を争い、王たる者が国を治める。」かつて、向かうところ敵なしとされていたモンゴル兵ですが、チンギス・カンの要求により、すべての兵士にシルクの肌着が配備されていました。
2023/11/29 新唐人テレビ

韓信――兵仙(13)戦いには必ず勝ち、巧妙な手口で相手を負かす、六回の奇襲の末、ついに天下を統一する【千古英雄伝】

歴史に詳しい人なら誰でも、韓信が「前漢の三英雄」の一人であり、「不滅の軍人」としても知られていたことをご存じでしょう。韓信なくして大漢の天下はなかったと言っても過言ではありません。では、わずか数年の短い軍歴の中で、何千年もの間、人々に語り継がれるような数々の有名な戦場をくぐりぬけた韓信は、いったいどんな奇跡を起こしてきたのでしょうか?
2023/06/26 柳笛

韓信――兵仙(12)十年潜んでから韓信と項羽の最終決戦が始まる【千古英雄伝】

項羽と韓信、一人は強力で覇気横暴な王者であり、もう一人は敵の動きを予測し、神のように兵士を使う仙人です。秦王朝の滅亡後の数年間、それは楚と漢の皇帝の間の戦いというよりも、項羽と韓信の間の華麗な決闘でした。この垓下の覇権争いは、ついにこの時代の歴史に力強い終焉をもたらしました。
2023/06/18 柳笛

韓信――兵仙(11)韓信はその名前通りに、義を山のように重く受け止め漢の時代を築く【千古英雄伝】

韓信、項羽、劉邦の間での覇権争いが激化し、韓信の軍事技術と戦略の重要性が浮き彫りになる。彼の選択は歴史の生命線に関わっており、楚と漢の最終決戦の結果や自らの王位獲得など、重大な瞬間に直面しています。
2023/05/21 柳笛

チンギス・カンーー世界貿易の原型を築く(中)【千古英雄伝】

チンギス・カンの3男、オゴデイの養子である楊惟中は知略に長け、二十歳にして西域30以上の国々に赴き、政令・條格の布告、人口調査による戸口の登録など、現地の統治体制を整え、大きな功績を収めました。この他にも、楊惟中は活版印刷伝播の重要な功臣でもあったのです。

韓信――兵仙(10)楚漢戦争の転換点で、韓信は20万の楚軍を水没させた【千古英雄伝】

韓信は楚漢の覇権争いで、少ない兵力で多くの勝利を収め、陳倉の秘密の渡河、木罌船での渡河、背水の陣、趙の破壊など多くの戦いで奇跡を残しました。特に「濰水の戦い」は、楚と漢の立場を根本的に逆転させ、楚軍を水没させる奇跡を起こしました。
2023/05/01 柳笛

韓信――兵仙(9)斉の殲滅の犠牲者、麗食其の死は韓信とは何の関係もない【千古英雄伝】

李左車の提案により、韓信は燕の王に手紙を送り、相手を降伏させました。次に、韓信は斉を征服することを計画しました。漢軍は斉を征服するために戦い、全て勝利を収めましたが、麗食其は斉王に殺されました。麗食其が殺された理由は、諸説ありますが、韓信が軍事的功績に貪欲であったためという説もあります。
2023/04/24 柳笛

チンギス・カンーー世界貿易の原型を築く(上)【千古英雄伝】

当時、金軍や西夏軍はもともと火薬や大砲の製造方法を知りませんでした。宋王朝との戦争を通じて砲車や各種の石弓、燃料、狼牙棒など様々な軍用整備を鹵獲し、その後、製造し出しました。 後にモンゴルが西夏、金を攻める際、数多くの腕の優れた大工や職人を捉えました。チンギス・カンは、職人を殺さない主義であったため、モンゴル軍の武器や装備が発達し始めたのです。

韓信――兵仙(8)英雄は英雄を大切にする、韓信は捕虜を礼儀正しく扱う独特な戦略【千古英雄伝】

韓信は軍隊を率いて戦って無敵であり、史上最高の軍事天才と称賛されています。韓信の戦歴の中で、彼と肩を並べて師のような尊敬と待遇を受けることができるのは、趙国の李左車だけかもしれません。歴史上、李左車に関する記録は多くなく、彼の話は主に韓信を中心に展開されています。
2023/04/17 柳笛

韓信――兵仙(6)予期せぬ川の渡り方、韓信は魏を倒すために奇襲軍を送る【千古英雄伝】

決戦が差し迫っており、両軍は川を挟んで対峙しました。 一つの軍隊に少数の船しかない場合、どのように川を渡って敵を倒し、損失を最小限に抑えるのでしょうか?楚と漢の間の覇権争いの時、自信過剰の劉邦は韓信への疑心のために、問題を引き起こし続けました。しかし、将軍としての優れた才能を持つ韓信は、常に危機を解決し、敗北を勝利に変えるのです。
2023/04/04 柳笛

韓信――兵仙(5)韓信は密に陳倉を渡り、漢王朝が天下を征服するための第一歩【千古英雄伝】

紀元前206年6月、漢中で盛大な任命式が行われ、漢軍陣営の長期にわたる空席となっていた将軍の候補者がついに確定しました。思慮深い韓信は劉邦の関中への行進をし、天下を制覇するための国士となりました。韓信の計画では、劉邦の軍の最初の標的は三秦地区でした。
2023/03/30 柳笛

韓信――兵仙(4)なぜ劉邦は項羽を倒せたのか? 韓信の戦略は「隆中対談」の戦略に匹敵する【千古英雄伝】

楚漢が覇権を争う前、項羽は40万の兵を持っているのに対して、劉邦はわずか3万の兵と馬で項羽の領地に赴きました。経歴的には、項羽は楚国の貴族であり、代々将軍として名声が高かったのに対し、劉邦はただの小さな亭主にすぎません。このような強力な敵を前に劉邦は、どのようにして弱者が強者を打ち破り、天下を統一することができたのでしょうか?
2023/03/26 柳笛

韓信――兵仙(3)蕭何が月の下で韓信を追う【千古英雄伝】

秦王朝が滅亡した後、高尚な志を持った軍人である韓信は、各地方の王子たちの中で困っていた劉邦に目を向けました。紀元前206年、劉邦はわずか3万人の兵士と馬を漢中に導き、韓信もその1人でした。歴史は、韓信が最終的に劉邦の大将軍になったことを教えてくれます。では、韓信はどうやってそれを手に入れたのでしょうか?
2023/03/24 柳笛

韓信――兵仙(2)知らせていない才能・韓信が漢に戻る【千古英雄伝】

秦の末期、「楚は三軒しかいなくても、秦を亡ぼし、楚を勝利に導く」という諺が流行っていました。紀元前209年、陳勝は反乱を起こし、「張楚」政権を樹立し、世の中の英雄を集結させ、項羽と劉邦も楚人の子孫として立ち上がりました。比較的平和な淮陰県で、韓信は彼の宝剣のように鞘から抜くのに最適な時期を待っていました。
2023/03/19 柳笛

韓信――兵仙(1)高い志を持つ【千古英雄伝】

「不滅の軍神」として知られる韓信は、楚漢の覇権争いにおいて間違いなく最も有名な主人公でした。 5年で、彼は漢王朝が世界を征服するのを助け、秦王朝末期の英雄間の紛争の混沌とした状況を終わらせました。英雄は乱世から生まれると言われていますが、韓信の登場は偶然ではなく、10代の頃から常人とは違う言動、野心を示していました。
2023/03/12 柳笛

諸葛孔明――預言者か(下)【千古英雄伝】

諸葛孔明は色々な著作を残しましたが、中でも預言書とされる『馬前課』が最も有名です。一課が一つの時代を指し、わかりやすくなっているのです。

諸葛孔明――預言者か(中)【千古英雄伝】

諸葛孔明は若い時に友人と遊学(よその土地や国に行って学ぶこと)をしていました。当時、天文学に造詣がある殷馗(いんき)という人がいましたが、彼は星の群れから、異常に明るい星をみて、占星象(天文学)からその星が大賢者であると占い、そして、見にきたところ、孔明とその友人たちを見かけました。殷馗は「星群の兆しは皆さんのことでしたか」と感嘆し、占星象を皆に教えました。

チンギス・カンーーグローバル化を提唱(上)【千古英雄伝】

1995年12月、米紙「ワシントン・ポスト」は、「Man of the Millennium」に選ばれたのはチンギス・カンであることを報じました。その理由は、チンギス・カンはグローバル的な観察力で、ヨーロッパとアジアをつなぐ自由貿易圏を切り開いたことです。インターネットがまだない700年ほどの昔、チンギス・カンはすでにグローバル的な情報流通の道を開き、各国間の距離を縮めたのです。

チンギス・カンーー勇士を引き付ける魅力(下)【千古英雄伝】

時は流れ、ジュルキン氏族という部族が新たにテムジンが率いるモンゴル部に加盟しました。宴会の間、テムジンの弟・ベルグテイは遊牧民の重要な財産である馬を巡視していました。ジュルキン氏族の者が窃盗を働いているのを見かけて、その場で逮捕しました。

チンギス・カンーー勇士を引き付ける魅力(上)【千古英雄伝】

遊牧民は皆、温厚で忠実ですが、同時に広い心を持っています。人材なら、たとえその人が敵側の人間でも高く評価します。

チンギス・カンーーモンゴル草原の凱歌(七)忠義の士【千古英雄伝】

テムジンはタタル部族を征服した後、将官たちを連れて陣営を巡回していました。この時、どこからともなく子どもが走ってきて、「エージ(モンゴル語で母という意味)に会いたい」とテムジンの足に抱き着きました。

チンギス・カンーーモンゴル草原の凱歌(六)忠義の士【千古英雄伝】

「あなたは父と義兄弟の契りを結びました。私はあなたの息子であるも同然です」とテムジンは用意していたマントをトオリルに差し出しました。このマントは、クロテン(イタチ科)の毛皮で作られた珍しいものです。

チンギス・カンーーモンゴル草原の凱歌(五)忠義の士【千古英雄伝】

テムジンはソルカン・シラからもらった馬を走らせながら、母親と兄弟たちの足跡を探索していき、ついに、オノン川河流付近で家族と再会できました。

チンギス・カンーーモンゴル草原の凱歌(四)王者への路【千古英雄伝】

ソルカン・シラの2人の息子チンバイとチラウンは父親の反応を待たずに、妹を呼んで3人でテムジンの首や手足についている鎖を外し、後で証拠にならないよう、きれいに処分した後、ゲル裏の羊毛が積まれた荷車にテムジンを隠しました。