チンギス・カンーー世界貿易の原型を築く(上)【千古英雄伝】

チンギス・カンの西征とともに、火薬、活版印刷、方位磁針などの東洋の技術も西洋へと伝わっていきました。
 

最古の活版印刷、1377年、高麗の経文(パブリックドメイン)

文化の伝播者

当時、金軍や西夏軍はもともと火薬や大砲の製造方法を知りませんでした。宋王朝との戦争を通じて砲車や各種の石弓、燃料、狼牙棒など様々な軍用整備を鹵獲し、その後、製造し出しました。

後にモンゴルが西夏、金を攻める際、数多くの腕の優れた大工や職人を捉えました。チンギス・カンは、職人を殺さない主義であったため、モンゴル軍の武器や装備が発達し始めたのです。

西征の軍隊には、張栄という造船や砲術に非常に長けている漢人がいます。
初めての西征の際、船がないため、河を渡れないという難題に遭遇しました。張栄に対策を求めたところ、張栄は造船のため1か月の期間をもらい、100隻以上の船を造り出して大軍を川の向こう側まで運びました。その後、造船技術がヨーロッパに伝わり、15世紀の大航海時代のために伏線を張りました。

1253年、イルハン朝の初代君主・フレグは、兄のモンケ・カアンの勅命により西征軍総司令に任命され、暗殺者として名を轟かせたニザール派やアッバース朝を討伐しました。フレグは出征前、中原から1000人以上の職人を呼んで、大砲や石弓、投石器などの攻城に使う設備を造らせました。また、進軍の最中も道路や橋を修繕していたのです。

フレグとその筆頭正妃ドクズ・ハトゥン(『集史』パリ本より)(パブリックドメイン)

(つづく)
(翻訳編集 天野秀)