チンギス・カンーーモンゴル草原の凱歌(六)忠義の士【千古英雄伝】

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「露を飲み、風に乗る」武将

テムジンとボルテが結婚した後、モンゴル人のしきたりにより、双方の父親に貴重な物を贈ることになりました。テムジンの父イェスゲイは早くに亡くなり、その義兄弟のケレイト部族のトオリル(後のオン・カン)はまだ健在ですが、長い間、連絡を取っていないため、自分のことを認めてくれるかどうかはわかりません。テムジンは2人の弟ジョチ・カサルとベルグテイを連れてケレイト部族の領地へと向かいました。

「あなたは父と義兄弟の契りを結びました。私はあなたの息子であるも同然です」とテムジンは用意していたマントをトオリルに差し出しました。このマントは、クロテン(イタチ科)の毛皮で作られた珍しいものです。誠実で温厚なテムジンを見て、トオリルは喜んでこの息子を受け入れました。

 

オン・カン(左)を歓待するテムジン(右) (『集史』パリ本:パブリックドメイン)

 

トオリルは、イェスゲイの死により分散した配下の遊牧民や武将を取り戻すことを約束し、テムジンと義父子の関係を結びました。これにより、テムジンはトオリルの庇護下に入り、ケレイト部族に帰属することとなりました。

1203年まで、ケレイト部族は王の約束を守り、テムジンを支援し続けました。そのおかげでテムジンも多くの部族を破り、一気に勢力を拡大したのです。一方、テムジンも誠意をもってケレイト部族と接し、何度もトオリルを助け、侵略や反乱を鎮圧しました。

恩を受ければ必ず返し、下の者を思いやり、常に信義を守るというテムジンの人格は、彼の領地内だけでなく、広く知れ渡り、多くの部落や氏族、王国などが臣服を示しました。テムジンの寛大なふるまいは、徐々にモンゴル草原各地の遊牧民の耳に入り、戦争の無情により苦しむ人々の心を慰めたのです。

裏切りはテムジンにとってタブーです。この原則を知らない者はいないため、多くの人は安心して自分の子どもをテムジンに預けることができました。中でも、ジュルチダイという老人は鍛冶道具を背負いながら、息子を連れて、はるばるブルカン・カルドゥン地区からテムジンに会いに来ました。

「あなたが生まれた時、私はイェスゲイ様の隣にいました。テン(イタチ科)の毛皮で作ったマントを出産のお祝いとして贈り、そして、息子をあなたに仕えさせると約束しました。当時、息子はまだ幼いため、何もできませんでしたが、今、我が子は成長したので、どうか、お引き受けください」と老人は言います。

老人の息子こそ、チンギス・カンを何度も窮地から救い出し、その親衛隊長を務め、四狗と呼ばれる功臣の一人で、ボオルチュと同じく9回過ちを犯しても罰しない特権を授かった武将ジェルメです。

タイチウト氏族との戦いの中でチンギスが負傷した時、ジェルメは意識を失ったチンギスに常に付き添い、血を口で吸い出しました。夜中にチンギス・カンが目を覚まして喉の渇きを訴えると、ジェルメは単身で敵地に忍び込み、桶に入った凝乳(チーズの原料となる固形物)を持ち帰って、水を加えてチンギス・カンに飲ませました。テングリのご加護があるためか、ジェルメは敵に見つかりませんでした。

翌日、一連のことを知ったチンギス・カンはジェルメの献身的な看護と命がけの行動、そしてその勇気を称え、これまでジェルメから受けた3回の恩は決して忘れないと感謝の気持ちを伝えました。

「露を飲み、風に乗る武将」として称えられ続けてきたジェルメはモンゴル帝国の10人の功臣の一人です。人間の心の忠誠心、誠実さ、妥協のなさは勇敢な戦士を生み、このような人は民に慕われ、代々語り継がれていくのです。
(つづく)

(翻訳編集 天野秀)