「亡き母の妄想」【私の思い出日記】

母は11年前に94歳で他界した。大正5年(1915年生まれ)で、私の曾祖父母や祖父母を取り巻く親族の話をいろいろと聞かせてくれた。どれも面白く忘れられない話が盛りだくさん。その中で、これは「母の妄想」として処理しなくてはならない話がある。

母の父(私の祖父)は7弟妹の長男で、稼業を継ぐために、音楽家の道をあきらめたが、母の叔父(私の大叔父)にあたる3人の弟は、一人は画家、二人目は写真家、三人目は作家を志した。この三人目の大叔父は、作家を目指して上京したが、肺結核になっては早逝してしまう。彼の死を知って駆け付けた曾祖母のもとに、友人と称する男性が現われて、大叔父の残した原稿をすべて持ち去ったというのである。曾祖母に「彼の才能を埋もらせてしまうのはもったいない。この原稿は自分が預かり、決して無駄にはしない」と言って去ったという。もちろん連絡先もわからず、そのままになってしまった。曾祖母は悲しみの中にあって、茫然としていたというのである。

ここからが母の妄想である。その後、大正時代に著名になったある作家が、きっと大叔父の作品を盗作したのではというのである。その著名な作家とは・・・。
これが単なる母の妄想なら、候補に挙がった作家も大変迷惑な話である。でも一度、母の口から出た言葉は、私の中では消えることはない。作品が発表されなかったとしても、その原稿(行李一箱)はどこにいったのであろうか。ちなみに写真家を目指した大叔父も早くに亡くなっている。

ついでに、80歳近くまで生き延びた画家志望の大叔父についても書き残したいことがある。彼はデザイナーとして生涯を終えているが、若いころ、画家としてパリ留学を熱望していた。その当時、実家に財力があったにも関わらず、曾祖母が彼を遠くに送るのを許さず実現しなかった。後に彼の友人から、彼はパリの街の地図を全部覚えてたという話を聞いて、なぜ夢を実現しなかったのかと、その優しいというか優柔不断な性格を残念に思ったことがある。私の子ども時代に、彼の同級生3人が突然家に訪ねてきたことがある。彼の絵が素晴らしくて、将来きっと有名な画家になると思って作品をずっと持っているが、今どうしてますかと。

彼の葬儀後に集まった親族は、彼の絵が見たいと希望し、娘さんに案内されて、2階の書斎に入った。ここに父の絵があるんですと、押し入れを開けると、なんとすべての絵がべた塗りされていたという、まるで日本のルオーである。ことごとく謙虚な人で、母曰く「あまり過ぎたる謙虚は、自分も周りも幸せにしない」と。

その叔父が5歳の母をモデルに描いた肖像画が素晴らしい。今、海を渡って、ドイツの姉の家に飾られている。90年経って、パリではないが、やっとヨーロッパでデビューした。