(metoro / PIXTA)
神に照らされ、人が誠実に生きていた時代のこと

仁愛の士は天下に敵無し(上)

孟子(紀元前372年?-紀元前289年)は各国を周遊していた時、訪れた国で貴賓として迎えられました。あるとき、斉国の宣王(?-紀元前324年)が孟子に尋ねます。

斉宣王: 斉の桓公(かんこう、?-紀元前643年)と晋の文公(紀元前696年-紀元前628年)が春秋時代、天下の覇者になった時の事をお聞かせ願えないだろうか?

孟子: 私は斉の桓公と晋の文公が天下を制覇した時のことを詳しくは論じたくないのですが、もし陛下がどうしてもとおっしゃるならば、道徳を用いて天下を統一する王道についてお話しましょう。

斉宣王: 道徳で、一体どうやって天下を統一できるのでしょうか?

孟子: 何事をするにも常に、庶民が安らかに暮らし、楽しく働けるようにと考えます。このようにして天下統一を行えば、だれも阻止できません。

斉宣王: 私のような者が、庶民を安らかに暮らし、楽しく働けるようにしてやれるでしょうか?

孟子: できます。

斉宣王: どうして、私にできると分かるのですか?

孟子: 私はこのような事を聞きました。陛下がある日、正殿に座っていた時、牛を引っ張っていく人をご覧になりました。陛下が「その牛をどこに連れて行くのか」とお尋ねになると、その人が「殺して祭りの供え物にするつもりです」と答えました。すると、陛下は「その牛を放しなさい。怯えて、震えが止まらない様子は、見ていられない。罪もないのに死刑に処せられるのと同じではないか」と仰せになりました。牛を連れた人が、「それでは、祭りの供え物はどうしますか」と聞くと、陛下は、「祭りの供え物はなくてはならない。羊を使ってかわりにせよ」とお答えになりました。さて、この一件は本当にあったことでしょうか。

斉宣王: 確かに、そのようなことがありました。

孟子: 王にこのような仁愛の心があれば、天下を統一できます。庶民は、この件を知った後、陛下のことをケチな人だと思っていますが、陛下はケチなのではなく、怯えている牛を可哀想に思われたのだと、私は存じております。

斉宣王: 確かに、そのように思う庶民がいたようです。だが、斉国は大きくはないが、牛一頭をケチったりする必要はありません。誠に心から、牛が不憫に思えたので羊に代えさせたのです。

孟子: 庶民が陛下のことをケチだと誤解したのをおとがめにならないでください。彼らは陛下が大きな牛を小さな羊に代えたことしか見ておらず、その中の深い意味を知る術もないのですから。ところで、陛下が罪もない者に同情なさるのなら、牛と羊はどう違うのでしょうか。

斉宣王: 確かに。私もうまく説明できませんが、絶対にケチったのではありません。ただ、庶民がこのように考えたのにも一理あります。

孟子: それは気にしなくてもよいでしょう。陛下のこのふびんに思う心こそ、仁愛と慈悲の表れなのです。陛下は直に牛をご覧になりましたが、羊をご覧になっていません。牛が生きているのを見て、殺すに忍びなく思われたのです。ただ、実際には、羊と牛は同様に可哀想なのです。

(続く)

関連記事
範忠宣公純仁(即ち、範仲淹の息子・範純仁)は、しばしば息子を戒めてこういいました。「最も愚かな人であっても、他の人を咎めるときははっきりしている。一方、とても聡明な人でも、自分を許すときはぼんやりしている。もし、人を咎める心で自分を咎め、自分を許す心で人を許すことができたなら、必ずや聖賢の域に達するであろう」
清代、ある裕福で徳望の高い老人がいました。ある大晦日の夜、老人は宴に参加するために、2人の家来にロウソクを持たせて、邸宅の居間へ向かいました。老人は、庭を通りかかったとき、木の上に人がいるのに気がつきます。
 【大紀元日本1月30日】[編集者注=作者劉路氏(1964年生)は、本名李建強、中国の著名人権弁護士。著作:『弁護士、危険な職業』『明日の曙を仰ぐ』『大犬も子犬も吠える権利あり』『自由のために弁ずる』
紀元前496年、孔子は魯(ろ)の国の大司寇(司法官)に就任し、宰相(現在の総理大臣)の職務を代行することとなった。しかし孔子は就任して間もなく、「政を乱す者」として少正卯を処刑したと伝えられている。少正卯は人を殺したわけでもないのに、なぜ処刑されたのだろうか。
昔、景春という人が孟子に言った。「公孫衍、張儀こそが真の大丈夫(立派な男)とは言えませんか?二人が一旦怒り出しますと、各国諸侯はびくびくして落ち着かなくなります。彼らが毎日平穏となるでしょう。」