日本って、すごい

日本ってすごい 神秘の武術、大東流光道

大東流は会津藩のお留流(門外不出の武術)

御留流(おとめりゅう)とは、江戸時代に一つの藩でのみ伝承され、同じ藩内でも他流の者に稽古を見せることを、藩より禁じられた武術の流派のこと。

神秘の武術のベールを剥ぐ

会津藩のお留流はほぼすべての武術、剣、槍、長刀、弓矢、手裏剣、柔術などを含む総合的な戦闘術の集大成であったが、明治政府軍が旧幕府軍に勝ち、廃藩置県により藩がなくなり廃刀令が出ると、創始者と言われる武田惣角(たけだそうかく)が全国を放浪し、約3万人に彼の流儀、大東流を手ほどきしたと言われている。

大東流の出所出典はいろいろ言われているが、戦国時代の鎧をまとって、槍や剣などでの殺し合う刀法から生まれた会津藩の武術だろうことは間違いないだろう。乱戦においては、矢が尽き、刀が折れれば、取っ組み合いになり、どのように相手を組み伏せ、鎧の隙間から短刀を差し込むかという修羅の術である。

相手を無力化し、勝つための方法である。

自分より体力のあるものをどう倒すか? 

あるいは劣勢をどのように跳ね返すか?

敵が有利な馬上にいて、長刀を振るう敵を、どう引きずりおろすか? 等々。

これは他の藩に伝わる別流派も同じようなものであり、この柔術の部分をまとめて講道館柔道としたのが嘉納 治五郎(かのう じごろう、1860年12月10日〉- 〈1938年〉5月4日)であった。

嘉納 治五郎 講道館柔道創始者 Wikipedia

武田惣角の大東流からは合気道の創始者、植芝盛平が出ている。

植芝盛平 合気道創始者 Wikipedia

刀を奪われたサムライは、徒手空拳で明治維新の世に放りだされたのだ。日本政府の富国強兵と西洋文化の流入は、伝統を徐々に破壊しつつ、一方、その伝統に隠されていた秘儀を世に出すことになったとは皮肉である。

武田惣角 大東流創始者 Wikipedia

武家に伝わってきた戦闘術は、藩が無くなり巨大なスポンサーを失えば、行き場を失い、衰退してゆく。

一方、柔術をベースにした柔道が、様々な柔術流派を吸収しながらスポーツとして育ってゆく。柔道が下半身の崩しを中心にしたのに対し、大東流を学んだ植芝盛平は、上体の崩しに焦点を当て、平面的な崩しに縦方向を加えて立体的な崩しとした。相手の力を利用するために円の軌道(合気挙げ)を使った。

柔道と合気道はスポーツ化して普及し、それでも「柔よく剛を制す」、東洋の魔法のような武術は、戦後の空手ブームも手伝って、世界にも普及し、西洋人を驚かせたのである。

しかし、それらの背後にはまだ、世間に知られずにひっそり伝わってきた秘儀、武術の奥の手があった。それらが、戦後から今まで、徐々に世間に出て、その存在と秘儀の一部を世に知らしめるようになる。その一部が今回取材した大東流柔術光道である。

大東流には大きく分けて3つの異なる教えがあるという。それは他流派というわけではない。それぞれが大東流の一部を構成しているのだ。

「柔術」「合気柔術」「合気之術」の三種の段階

 

会津藩では士分や禄高(階級)によって、図1のように分けて学んでいたという。

● 下級武士には、「柔術」

● 200~250石の中級武士には「合気柔術」

● 500石以上の上級武士には「合気之術」

というふうに階級に応じて、あるいはその階級で必要とされるものだけを分けて伝えていたのだ。

虚実(兵は詭道なり:戦争とは、相手を欺く行為)という兵法の観点から言えば、下級武士の「柔術」は力比べ、本来なら、相手の体勢を崩して倒すものだが、どうしても筋力体力の戦いになってしまう。体勢を崩されないように押せば引き、引けば押せになり、そうなると体重が重く、力の強いものが有利になるということだ。実際は、虚を探してさばきで崩すということになりにくい。現在の柔道にそれが見え隠れする。

一方、中級武士の「合気柔術」は、植芝の「合気道」に共通する点を見い出せる。崩しの方向が立体的になり、「さばき」によりて円内に相手の力を導き利用し、小さな力で大きな男を投げ飛ばす。

エポックタイムズ作成

 

では、その最上位に位置付けられた「合気の術」とはなんであろう?

大東流柔術光道が伝えているのはこの、500石以上の上級武士が修練していた「合気の術」である。巻末にどのような技なのか紹介した抜粋ビデオを記しておくが、

「力を入れてはだめ!」

「筋肉の力をつなげてはだめ!」

と、古賀総師範は繰り返し、指導していた。

つまり、相手にこちらの起こりを伝えてはならないということだ。

蹴りなのか、フックなのか、ジャブなのかストレートなのか?
その動作の前に必ずなにがしからの準備がある。それを「起こり」という。

右回し蹴りの直前には、左足の移動、体重移動がある。右ストレートの前には、足による体重移動がある。等々、敵はその起こりを読んで、防備を固くするのだ。

これは、前回インタビューした総合格闘技者の菊野克紀氏も、同じことを沖縄空手の型(ナイハンチ:「起こり」を生じない体運び)から学び、ノックアウト率が格段と向上したという。

 

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ここからは、大東流柔術光道の古賀総師範と阿部師範とのインタビューを通して、この神秘のベールの奥を垣間見て行こう。

古武術、大東流

古賀総師範: 武田惣角先生が、植芝盛平先生に大東流を伝えて、合気道に変わっていって合気道がすごく盛んになってますね。今では日本のみならず世界にも広がっているんですけど、 その、どちらかというと、スポーツタイプって言ったらいけませんけど、そういった形でやっぱりこう、少しでも簡単にできるようにして、はい、普及していったんですけど、それに比べて 古武術である大東流が、オリジナルのまま、まだ残っていたのですね。

竹田惣角先生が、最初にまずは数人の方に教えましたね。その一人に北海道北見の堀川幸道先生(1959年、武田惣角からの免許皆伝)がいました。この堀川先生のお弟子さんである錦戸無光総師範に、42年前に、受け継がれたものを私たちが、受け継いでいるのです。

錦戸無光総師範と古賀総師範

 

筋力を使わない武道!

合気道がどちらかというと、 スポーツ進化されていった一方、 こちらの方は、昔ながらのものを保って持って来たのです。古武術と言います。古武術の中には、スポーツ同様に筋力を使っていく古武術も、たくさん残ってるのですが、大東流には、筋力を使わないでやるっていう、技があったのです。

大東流の中にどんな流派があるかといいますと、1番目に「 柔術」、 2番目に「合気柔術」、 3番目に「合気の術」がありまして、うちの光道(ひかりどう)は3番目の「合気の術」を メインに伝承してきた流派であります。

 この一番目の柔術という分野から、柔道も生まれています。そして、残りの二つですけど、大東流の中で、「合気の柔術」やってる流派と、我々の「合気の術」やってる流派があるわけです。

簡単にいうと、以下の図のように;

合気を使わない柔術 ≒ 柔道

 

柔術に合気を加える ≒ 合気道に近くなる